「思い起こす(リメンバー)」
「光の身体の発展」より マイク・ブース
アーシュラ・ル・グインという作家の『ゲド戦記』というファンタジーを読まれたことがありますか?
日本のアニメスタジオのジブリでもアニメ作品が作られたので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。
ただ、ああいう作品はアニメ化するのは難しいものだなとは思いましたが。
ところで、ル・グインが創造したこの作品世界は、魔法というものがまだ息づいていた「アースシー」という架空の世界でした。
その世界では言葉は魔法の力を持っており、その魔法の力を操る魔法使いは13歳で成人するときそれまでの通称を取り去られ、名付け親によって「真(まこと)の名」を与えられるのです。
この「真(まこと)の名」は、めったに他人に教えるようなものではなく、自分の命をあずけるに足るような相手にしか教えることはありません。
相手の「真(まこと)の名」知るということは、その人の死命を制するということでもあったからです。
もっともこの「真(まこと)の名」は普段の生活で使われる名ではないので、普段の生活にはそれまでどおりの通称が使われたようです。
この作品を読んだとき、それはこのアーシュラ・ル・グインという作家の発明なのかと思っていました。
でも、それは西欧世界での魔法に関するひとつの伝統であるらしいですね。
今回ご紹介するマイク・ブース氏の「光の身体の発展」という記事のなかの【西洋の魔法の伝統と呼ぶ世界において、なにかの名前を知ることはそのなにかの力を知ること】という一節を読んで、ああ、そうなのかと思いました。
日本語の「言霊(ことだま)」という言葉のニュアンスからも感じられるとおり、言葉はもともと「物質化」とか、あるいは物質化したものに「命を与える」といったようなことと関係があるものだったのでしょうね。
たしかに、現代の我々の言葉遣いを考えても、対象を概念化し、言葉にして理解するということは、その対象のそのように概念化された側面に光を当てて、その側面を物質化するということをも意味するのかもしれません。
そしてそれは、取りも直さず、対象をそのように【再構成する(リメンバー)】ということなのかもしれません。
では、マイク・ブースの記事「光の身体の発展」からそのあたりに関連する部分をご紹介します。
—————————————————————— 私たちが西洋の魔法の伝統と呼ぶ世界において、なにかの名前を知ることはそのなにかの力を知ることにつながります。 オーラソーマ(R)とは、光の身体を意味します。 私たちは光の身体とワークしており、そこには大きな意味があります。 今のこの時期に、あなたがこの驚く事実の一部であることを思いださせるために、光の身体は人類に向けて明らかにされてきました。 魂の観点からすると、あなたは呼ばれたのであり、この光の身体ということに関連した啓示の一部であるのです。
1983年、ある盲目の女性が、光の身体の発展させるためのシステムを授かりました。 それは、魔法を使って呼びだされたものでも、頭を使って考えだされたものでもなく、私たちの時代に意義のあるなにかをスピリットから与えられたものだったのです。 オーラソーマシステムを探求するにおいて、光の身体を発展させるということがなにを意味するのか、私たちはそれを問いかけていく必要があります。 もしかすると、「発展」という言葉自体が、正確でも適切でもないかもしれません。 光の身体は、すでに変化と発展の過程にあります。 光と意識は同意語です。 光と意識、あるいは気づきとの間には隔たりはありません。
現時点において、この課題を見てみましょう。 おそらく、これは4万3千年のサイクルの頂点ともいえるかもしれません。 そして、北米インディアン、ホピ族やマヤの伝統、あるいは古代インドのヴェーダといった多くの伝統における予言をみると、どの伝統においても、この時代に対する、より意識の高い時代への進化の可能性についての予言がなされています。 意識と光は同意語です。 オーラソーマカラーシステムという意識そのものからのギフトは、光の身体についての人類の理解を助けるためにもたらされたのです。
1983年に、オーラソーマシステムに関して私が初めて読んだものは、ヴィッキーがトレーニングに人々を招き寄せるための言葉でした。 その言葉は、本当に大切なものとして今でも私の心に触れています。
「自分自身を思い起こすことを望むものたちのために・・・会いに来てください」
「自分自身を思い起こすことを望むものたちよ、会いに来てください」
これはとてもシンプルで、本質的であり、自分自身を通して誕生したものを世界と分かち合いたいと彼女に思わせた精神を簡潔に表現しています。
――「自分自身を思い起こすことを望む者たちよ、会いに来てください」
あなたは、自分自身の思考やフィーリング、そして存在において、「自分自身を思い起こすことを望む者たちよ、会いに来てください」という言葉と光の身体との関係を見いだすことができますか。
さて、ここで次の言葉について考えてみましょう。
「思い起こす(リメンバー)」
リ(=再)メンバー(=構成要素)とは、複数の部分を集めて一緒にするという意味です。 身体のメンバーとは、腕や足、頭や胴体です。 したがって、身体的な観点からのリメンバーとは、身体の各部分をひとつに集めること、身体のメンバーをまとめることです。
『リビング・エナジー』Vol.7(p88)
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なるほど。
「思い起こす(リメンバー)」ということには、自分を何者として再確認するかというニュアンスが含まれているわけですね。
それは過去の物語のなかに“自分”の起源を確認するという意味合いと同時に、新たな意味合いで“自分”の物語を再想像していくという意味が含まれているのでしょう。
そんなふうに過去を再構成しながら、われわれはどこまでも物語を展開してきたのですね。
pari 記
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