ディープマジェンタのパワー
「オーラソーマから見る老荘思想─私の旅の体験から」 竹下淳子
人生っていったいなんのためにあるんだろう、なんて思ったことはありませんか?
こんなことは普通子どものころは考えませんよね。
まわりにあるすべてのことがもの珍しくて、世界に対する興味にあふれているからです。
でも、そういう状態を大人になるまで維持できている人は、ほとんどいないだろうと思います。
いつの間にか、まわりの状況は平板な日常になり、自分はその日常にしっかりと組み込まれていて、しなければならないたくさんの仕事や業務に対応するだけで、あっという間に一日が過ぎ去っていったりします。
すると、あまりにも忙しく、あまりにも平板な日常のなかで、ふっと「私はなんのためにこんなことをしているんだろう?」という思いがよぎったりします。
【なんのために】今こんな人生を送っているのか?
それはおそらく、あなたがどこかでこういう人生に【興味】を持ったからではないでしょうかね。
こういうもの(現象世界)にまったく興味を惹かれることがなくなれば、もう二度とこういう人生に入ってくることはないのではないでしょうか。
でも、みんなが一緒に集まって何か楽しそうにやっているような気がしたら、そこになにかおもしろいことがあるのではないかと、やっぱり興味を惹かれてこの世界に入ってくるかもしれませんね。
そして、その平板な日常を生きるなかで、ふと虚しいような気分に襲われる。
すると、いったいなんのために人生なんてあるんだろう、などと思ったりするのです。
そんな人生のなかにも、まるで一時的に人生から降りたような時間もあるものです。
それはふだんの平板な日常から離れて旅に出ることです。
今回ご紹介する竹下淳子さんは、長くインドで放浪の旅をされたそうです。
美しく印象的な言葉で、彼の地で経験された、さまざまな人との深い出会いを描かれています。
インドというところは、清潔な日本などから行くと、まるで異次元空間とも思えるようなところですよね。
今回は竹下淳子さんの記事「オーラソーマから見る老荘思想」から、その不思議な雰囲気が伝わってくる文章をご紹介しましょう。
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ディープマジェンタのパワー
地図を指して道をたずねた私に、木の枝の杖をついた老人は、ついて来いと合図して歩きはじめた。
黙々と歩いた。
長い道程だった。
目的地に着いて感謝の気持ちを表そうと、私がさしだした紙幣を受け取らなかったその老人。
炎天下の畑仕事を眺めていた見ず知らずの私に、畑で採れたばかりの大きなスイカを持っていきなとさしだした若い農夫。
明日をも知れないコルカタの路上生活。
ボロボロの汚れたTシャツを破って、野良犬の仔を包んでいた小さな兄弟。
ヒンズー教徒が、そこで死ぬことを望んでやって来るガンジスの聖地バラナシ。
そこで死ぬために、どうにかたどり着いたのであろうみすぼらしい老夫婦。
力尽きて横たわる夫の足を、黙ってどこか遠くを見つめるような虚ろな表情でさすりつづけていた妻・・・。
インドという、人間にとって過酷な大地で生きている人々。
彼らとの出会いが、私のなかのマジェンタを目覚めさせてくれたのかもしれな
い。
しかし、インドで出会ったのは、そんな美しい人々ばかりではない。
毎日のように誰かにだまされたし、少しは怖い思いもした。
でも善と悪、生と死すべてを包み込んでしまうパワーがインドにはある。
それはディープマジェンタだ。
老子は、人間の理想の生活は農村にある、と言った。
そんな忘れられないインドの農村の風景がある。
夜明けとともに朝餉の支度がはじまる。
水をくみ、炭をおこす。
立ち上る煙に綾なす朝の光その光と闇のなかで、老人は黙々とパンをこねていた。
夕暮れにバスを降りた老人、そこは見渡すかぎりの平原で、まわりに人家など見あたらない。
それでも老人はバスを降り、家路をたどった。
しだいに暮れていく淡い闇のなかに消えていった老人。
私には見えなかったけれど、その老人には帰るべき家の灯りが見えていたのだろう。
彼らは自分の人生について頭で考えたり、言葉で表現することはないだろうけれど天の意思につながって生きているように思う。
きっと彼らの身体は、それを知っているのだ。
老子の有名な言葉「知る者は語らず」を思い起こす。
そして、ペールブルーのメッセージ「汝を通して御心がなされますように」を思い起こす。
食べて働いて眠る、そんな単調な日常を慈しむように生きている。
まさにマジェンタだ。
天とつながりながら、足はしっかりと大地についている。
マジェンタのカップの支えがあってこそ、ブルーは体現されるのだと納得できる。
また、老子が道を表した言葉に「玄のまた玄なる」というものがある。
玄とは何度も染められて真っ黒になる一歩手前の色で、わずかに赤味を帯びた黒い色だという。
無限の深さ、根源的な静けさを表す。
根源的な静けさは、あらゆる動きをなかに含んだ動中の静である。
これはディープマジェンタを思わせる。
『リビング・エナジー』Vol.8(p87-88)
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ちょっと時間が止まったような感じの美しい描写でしたね。
たしかに、ディープマゼンタにはそういうすべてを抱擁しなかに溶かし込むような雰囲気がありますね。
ただ感じるしかないようなものもあるのだと思います。(-||-)
pari 記