魂のスパイラル

魂のスパイラル  ドミニク・ヨーマン
        オーラソーマのバランスボトルを誕生させたとき、ヴィッキーさんは完全に失明していました。
しかし完全に失明する前に、その将来の危険に備えて、ヴィッキーさんが子供の頃からもっていた内面の視力の洗練に努めていた時期があったようです。
そしてバランスボトルの誕生に立ち会ったころは、すでにその内面の視力だけで他の人たちを識別していたといいます。
ヴィッキーさんは何を見て、相手を識別していたのでしょうか?
そうです、お察しの通り、ヴィッキーさんは相手が発している「オーラ」の色と光を見て、その人を識別していたわけです。
ということは、その「オーラの色」を感知していたのが、ヴィッキーさんの肉眼の視力でないことは確かです。
つまり、現象世界の形体的側面が顕現できる基盤とも言える「色」は、肉眼がなければ知覚できないというものではないわけです。
“内面の視力”“心の目”“第三の目”“ビジョン”など、その視力を表す言葉はいろいろありますが、肉眼があるからものが見えるわけではない、ということですよね。
「色」というのは、顕現世界を可能にする意識のなかに元々内在している“資質”なのでしょう。
ヴィッキーさんは相手の「オーラ」の色と光を識別することで、その方の人格のいわば“歩み”とか“霊格”とでも言えるようなものを感知していたようです。
それをヴィッキーさんはその人の「真のオーラ」と呼んでいたわけですよね。
ところで、この同じ「真のオーラ」を意味する言葉で「魂のスパイラル」という別の表現もあるのだそうです。
この表現にはどんなニュアンスがあるのでしょうね。
ドミニク・ヨーマン氏の記事「オーラソーマ 光と身体」から、そのあたりに触れた部分をご紹介しましょう。
         ——————————————————————– オーラソーマのギフトは、その内なる質がそれ自体を表し、色として現れ、そして、このように光の言語を話す方法を備えていることです。 長い由来があるにもかかわらず、それは20世紀の西洋の世界では親しみにくい概念かもしれません。 世界における、多くの古代の伝統的な知恵において、色の言語は魂の進化における統合的な役割を演じています。 たとえば、バルドソドル(チベットの死者の書)において、それはこう言われています。 体から魂が離れると、次に現れるのは光と色の閃光の連続です。 この光と色は、体とともに消えてしまった五感とは独立して知覚されます。 光と色を観ているものは意識それ自体です。 意識がどのようにこの閃光の連続に応答するかは、気づきと、その色によって意味される人生のその分野に、実際に魂が到達した熟練のレベルの尺度になります。 もっと言うと、この光と色の閃光への魂の応答が、魂が次にどの生に転生するかの環境を決めることになります。 スピリットの実現のプロセスへの鍵となる部分を説明するのに使われる言葉が光明(エンライトメント)であることに偶然はありません。 それは強烈で純粋な光の閃光の認知なのです。
このように見ると、光と色には深い意義があり、それは私たちの経験をとぎす ます鍵の役割を演じます。 それは肉体を越える意識につながります。 魂のスパイラル、これはオーラソーマの創始者であるヴィッキーの言葉で、一つの生から次の生へと続くエッセンスを説明するのに好んで使われたものです。 光と色は、この魂のスパイラルが別の次元でその旅を続けていく鍵となります。 そしてまた、魂のスパイラルが新しい生まれ変わりとして、再びこの次元に戻ってくるかもしれない時のガイドでもあるのです。 最も重要なことは、光と色は私たちが地球上にいる間に、私たちの内にある気づきをガイドしてくれているということです。 色は人生の語彙ですそれぞれの色が経験、質、思考、フィーリングの分野に関係しています。 すべて存在するものは色の中に現れます。 色は衣服であり、その中で、人生の多様性がそれ自体を飾り、意識が個々の物の根本的な質を認めるのです。 この内なる意識は、私たちの日常の意識レベルにおいては観察できないかもしれません。 にもかわらず、それはいつもそこにあり、私たちの人生の行動というものを観ています。 それはからだの中にある気づきの光です。
オーラソーマでは通常、この気づきの光、魂のスパイラルを真のオーラと定義しています。 それは私たちの最も内側にある質です。 それは、色とそれに類似した光線とに関連しており、この光の断片が、そのレッスンを学び、その質を純化させながら永劫を通して進化していく道ともまた関係しています。 この世に生を受けるにあたって、真のオーラは、そこに含まれた色の光線として現在の完璧さを、人生の状況にもたらします。 その環境の傾向はまた、それ自体が色として表現されるかもしれません。 このようにして最も根本的なレベルにおいては、それぞれの生というものは、色が色に出会うというふうに見ることができるかもしれません。 それはちょうど二つの層が出会うように。

                 『リビング・エナジー』Vol.4(p78) ——————————————————————–
なるほど……。
『バルドソドル(チベットの死者の書)』かぁ……。
魂が、何らかの色の光に引き寄せられるわけですねぇ。
色から色へ、そしてそれに光が加わっていくわけですね。
どんな色に惹かれても、それは対極のなかの一方でしかないわけか……。
pari 記
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