ポケットの中のダイヤモンド
今のこの時代は、ひとつのサイクルの終わりにも当たるのでしょうね。
長く一つの大きな料理のなかで煮こまれてきたそれぞれの材料が、最後にどんな味を出しているのかを確認しているようなタイミングなのかもしれませんね。
そういう目付きで見てみると、精神世界の本は現れの世界に対する多様な観点がもはや総出て妍を競っている段階になっているような気もします。
精神世界本はちょっと見にはどの本も似たようなことについて語っているようにも見えます。
でも、ちょっと内容に立ち入ってみると、それらの本は必ずしもすべて同じことについて語っているようではありません。
それどころか、どの一冊をとってもまったく独自の世界観を展開しているようだ、といった方が事実に近いかもしれません。
まるで昔の中国の言葉でいう「百家争鳴」とでもいったような。
では、それらスピリチュアル本の主張をグルーピングできるような観点は何もないのかというと、そうでもなさそうです。
もし細かい分類を試みるなら、それこそ蜂の巣を突いたような様々な主張が出てきて、とても手に負えないことになりそうです。
なにかそこに、大きな目安みたいなものは見あたらないでしょうか。
そう思ってみると、自然にあるひとつの目安が浮上してきました。
それは、“転生”というものについての態度です。
ひとつの目安として“転生”についての態度が、ある大きな分かれ目になるような気もします。
多くのスピリチュアル本は宇宙の多次元構造を語りますし、その多次元宇宙のなかでの“魂”の遍歴、つまり“転生”を語るようです。
でも、そういうまったく内容を語らないスピリチュアル本もあります。
では、そういう本の場合は何を語るのでしょうか?
今回ご紹介するガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』はそういう観点を端的に教えてくれるとても素晴らしい本だと思います。
ガンガジはラマナ・マハルシの弟子のプンジャジとの出会いのなかで悟ったアメリカ人女性ですが、その場所がちょうどガンジス川のほとりだったので、ガンガジという名前をもらったそうです。
ガンガジはプンジャジとの出会いで何を理解したのでしょう。
そして、自分が理解したことをどんなふうに語るのでしょうか。
どういうことをおっしゃっているのか、ちょっとご覧になってみてください。
では、ここでは「問題よりも平安を選ぶ」というピースのなかの一節をご紹介しますね。 ——————————————————————– 私たちが過去を振り返って問題を再び思い起こすのは、その問題が重要だという思い入れがあるからです。 これはいわば「生まれ変わり」です。 つまり、同じ問題、同じ物語、同じ惨めさを抱えて毎日生まれ変わる、という選択肢を選んでいるようなものです。 それが自分の選択であることにいったん気づけば、問題を生かしておくためには何が必要かに気づくこともできます。 問題を重要なもののままにしておくためには、「終わったこと」に時間、努力、エネルギーを必要があるのです。
私たちは、自分の問題を軽減し、苦悩に終止符を打つための答えを探し求めます。 けれども、その前にはまず、生まれ変わりがあります。 それは自分で実際に選択した生まれ変わりです。 私たちはしばしば、何者でもなくただ今ここに存在する、ということよりも、苦しむ人として生まれ変わることを選択します。 何者でもなく、何を守ろうともせずにいる、という意思は、非常に強烈な感情を生むことがあります。 激しい恐れが湧き起こることもあります。 「私は消えてしまうかもしれない。そして私の人生は実際には何の重要性もなかったことになる」と思うのです。 けれど、わかっていただきたいのは、それはいずれにしろ起きることだ、ということです。 あなたはいずれは消え去り、生前たとえどんなに大きな貢献を残そうとも、それさえいつかは消え去るのです。 『ポケットの中のダイヤモンド』 ——————————————————————–
なんと……。(@_@)
「私たちはしばしば、何者でもなくただ今ここに存在する、ということよりも、 苦しむ人として生まれ変わることを選択します」……。
驚くべき、しかし十分に調べてみるべき観点なのではないでしょうか。
もしかしたら、ここは“問題の解決”にとって“急所中の急所”かもしれません。
このピースは「問題よりも平安を選ぶ」とタイトルされていたんでしたね。(-_-)
なんと、不思議な……。
pari 記
Twitterブログパーツ