「これはなんですか? どこで手に入りますか?」

「これはなんですか? どこで手に入りますか?」
「オーラソーマの歴史から見たオーラソーマの無限の可能性」より                             江谷信壽
       考えてみれば、それが何のためのものかわからないままに商品化(販売)された商品というのは、とても珍しいというか、ちょっと他にないかもしれませんね。(^^;)
買い手が初めてその製品を見たとき、それが何のためのものかわからないということはよくあります。
しかし売り手がその製品が何のためのものかわからないままに、商品として売りだすというのはかなり例外的です。(*^_^*)
普通は、商品説明は売り手が買い手に説明するものです。
ところが、オーラソーマの場合は、後で売り手が買い手に、その商品をなぜ買ったのか、それをどんなふうに使ったのかを質問したというのですから、まったくジョークとしても完璧です。
博覧会でこの商品を初めて展示したとき、ヴィッキーさんはこれを化粧品の一種と考えていて、またそう説明してもいたようです。
ところがこのボトルを最初に買った女性は、陳列台のガラスの下支えに使われていた“濁った不良品”のボトルを欲しがったのだそうです。
そして、なんと、その日の内に、その売るつもりもなかった“濁った不良品”のボトルが六本も売れたというのですから驚きです。
オーラソーマもボトルは顕在意識の働きを通さずに誕生し、また最初のボトルは顕在意識の働きを通さないコミュニケーションによって売れたようです。
そして誕生してから十年後に、日本の人々に訴えたのもまた、顕在意識の働きを通さないある種の素直な興味だったのかもしれません。
日本人が最初に見たオーラソーマ製品はポマンダーとクイントエッセンスだったみたいですね。
ではその場面を、江谷信壽さんの記事「オーラソーマの歴史から見たオーラソーマの無限の可能性」からご紹介しましょう。
       —————————————————————— オーラソーマカラーケアシステムが日本に初めて紹介されたのは1993年のことでした。
ヴィッキーさんが瞑想のなかでオーラソーマのヴィジョンを見たのは1883年のことですから、ちょうどそれから10年あとのことです。
ヴィッキーさんは瞑想のなかで「水を分けなさい」という啓示を聞いて、ガイドに導かれるままに2色に分かれた液体の入ったボトルを作りました。 しかし、ヴィッキーさんは自分で作ったその2色のボトルを見たときに、それがなんのためのものなのかわからなかった…ところから、このオーラソーマの物語がはじまりました。
では、日本では、どのようにしてオーラソーマがはじまったのでしょうか?
実は、日本でも瞑想からはじまりました。 そして、それが紹介されたときも同じように、私にとってはそれがどういうものなのか、よくわからないものだったのです。
当時私は、現在はユニティインスティチュートのディレクターをしているリーラがガイドする、瞑想のワークショップを主催していました。 そのなかでリーラが使っていたのが、オーラソーマのポマンダーとクイントエッセンスだったのです。
そのワークショップが終わると、参加者の方たちが私のところにやって来て「これはなんですか? どこで手に入りますか?」と質問責めにあうことになりました。 しかし、当時の私は、聞かれてもわからなかったのです。
ヴィッキーさんのオーラソーマも、日本のオーラソーマも、瞑想からはじまったということは単なる偶然の一致でしょうか? それとも天の計らいなのでしょうか? それをどう解釈するかは人それぞれだと思いますが、オーラソーマのルーツを探ることは、オーラソーマとはなにかを知ることであり、また、その可能性を知ることにもつながるのではないかと思います。
そこで、私が体験したオーラソーマのはじまりを、みなさんに分かちあうことで、現在、そしてこれからオーラソーマに携わる方たちに、オーラソーマに秘められている無限の可能性について考えていただくひとつのヒントにしていただければと思うしだいです。
私はオーラソーマに出会って、その無限の可能性をみなさんに伝えたいと思い、オーラソーマ機関誌「リヴィングエナジー」を創刊(1996 年)するとともに、ヴィッキーさんの『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』の出版(1997年)を手がけました。
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http://amazon.co.jp/o/ASIN/4900612243/oshoartunity-22/ref=nosim
そして、インターネットが普及しはじめたこともあって、オーラソーマ総合情報サイトのウェブサイトを立ち上げ(1999 年)、まぐまぐの殿堂入りを果たしている『オーラソーマ通信』というメルマガを2004年から配信しています。 http://aura-soma.co.jp/newsletter/
また、オーラソーマのコースを日本で開催するにあたり、最初のコースのワークブックを翻訳し、まだ日本でもオーラソーマが普及する前の1995年、セドナでのオーラソーマコースを企画し、2000年まで毎年開催をしていました。 1996年からは毎年、世界に活躍するティーチャーを育てたヌラを招待してのオーラソーマコースの開催などにより、オーラソーマを日本で広める活動を行ってきています。
そして、1997年には、マイク氏を初めて日本に紹介し、山中湖のラフォーレにてセミナーを開催しました。
さらに、1996年からは、和尚アートユニティとしてオーラソーマの輸入を開始しています。 http://aura-soma.jp/
1998年には、オーラソーマのプロダクトを日本に輸入するため、株式会社オーラソーマジャパンを立ち上げ(2003年解散)、オーラソーマプロダクトの輸入総合代理店として役割を担っていました。
つまり、私がこれまでオーラソーマで担ってきている役割というのは、ひとことで言うと、オーラソーマを日本のみなさんにお伝えし、そのプロダクトを紹介することでした。                   『リビング・エナジー』Vol.8(p1)

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なるほど。
オーラソーマの魅力にまわりの人間がどんどん巻き込まれていく様子がわかります。
ある意味では、生態系としての地球の危機に際して、地球の鉱物圏と植物圏が動物圏をも巻き込んでいくコミュニケーションがここで展開されている、かもしれません。
pari 記

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