海の底の大きな金魚鉢

海の底の大きな金魚鉢  Penni Du Plessisi
        宇宙のなかのすべての生き物には、それぞれ与えられた生息圏のようなものがありますよね。
空をとぶ鳥は水の中では生きられませんし、逆に魚は空中では生きられないでしょう。
われわれこの地球上の人間も、地球という生息圏のなかで生かされているわけです。
どんなに偉ぶってみても、空気や大地や水や太陽の光がなければ、われわれは一瞬と言えども生きてはいられないわけです。(^_-)
それくらい生き物にとっては大前提となる当たり前の生息圏、つまり生存環境ですが、ときにはこれが大きく変化する時期もあります。
例えば、最近の話題では、自分たちがこれまで普通に生活を営んできた地域が突然の津波で押し流され、また原発事故で放射能汚染されたとなったら、まずはそこでの生活そのものが崩壊してしまいます。
地上の一地方だけではなく、大きな気象変動によって地球全体が寒冷化に進むとか、あるいはアフリカや中国その他の地域で膨大に進行している砂漠化の傾向など、なにやら恐ろしいほどの生存環境の変化が訪れているようでもあります。
現在という時点が、何やら約束された大きなサイクルの変わり目に当たるのだ、というような噂も耳にするようです。
いずれにせよ、それぞれの生き物にとっては在って当然の生息環境が、大きく変化するというタイミングは大なり小なり避けられないのかもしれません。
想定外のあまりにも大きな生息環境の変化に対して、人間は「あってはならないこと」などと言うかもしれませんが、でも環境がその“わがまま”を聴いてくれるかどうかはわかりません。
さて、そのような大きな変化に直面したときに、それに対応する人間の態度には、どうやらいくつかのパターンがあるらしいのです。
今回ご紹介するのは“海の底の大きな金魚鉢”という、とても面白く、そして示唆的な寓話です。
では、Penni Du Plessisiさんの「魂の万華鏡」という文章のなかからその寓話の部分をご紹介しましょう。
         ——————————————————————– 魂の万華鏡から   Penni Du Plessisi
最近「ライトボディとは何か」という本を読みましたが、その中にこんなすばらしい寓話がありました。
想像してみてください。 昔、海の底に大きな金魚鉢がありました。 その鉢はしっかり密閉されていて、外側からだけ見えるガラスで作られていました。 金魚鉢の中で泳いでいる金魚たちには、鉢の中だけしか見えません。 鉢の外側の海水、他のいろいろな魚や植物たちの生態には気づいていません。
やがて、金魚鉢のガラスが少しずつ薄くなってきました。 少しずつ海水が、金魚鉢の中の真水にまざってきました。 金魚たちは、この環境の変化に対応するためにとても速く進化しなければなりません。 ガラスが薄くなるにつれて、彼らは他の生き物たちを垣間見ることができました。
では、このことに対するさまざまな反応を見てみましょう。 他の魚たちを敵とみなす金魚たちがいました。 そして、この緊急の侵略から金魚鉢を必死で守ろうとします。 彼らは他の魚たちを邪悪な者としてみなしています。 そして自分たちの恐怖を隠すため、まわりの緊急事態に自分の恐怖を投影しています。
あるいは、海の魚たちは今までずっと、金魚鉢を支配してきた、だから、自分たちはやがて食べられてしまうだろうと、思いこんだ金魚たちもいます。 金魚鉢のガラスが溶けるにつれて、びくびくしながら、彼らは他の魚たちに出会う日を待っています。
ガラスの向こう側にいる魚たちを、神聖で力強い自分たちより優れている者と考える金魚たちもいました。 彼らは自分の内側の威厳をすべて捨ててしまいました。 そして特別な者として選ばれるか、あるいは価値のない者にされるかということを思い悩んでいました。 彼らは、「マスター」からの隠されたメッセージを読み取り、そのメッセージに基づいて自分の行動、信念を作ろうとしています。
そして最後のグループの金魚たちは、他の生き物たちを 驚くほど多様な世界での兄弟、すばらしい者とみなしました。 彼らは、他の生き物たちと出会い、もっと学べる時が来るのを心待ちにしていました。 広大な海水の中を泳ぐ準備をしながら、彼らは恍惚感を味わっています。
あなたはどの魚にあてはまりますか? あなたは敵と闘うのに忙しいでしょうか? あなたの聖なる剣をおごそかに抜いて、秘密政府、未知なる者、暗闇の力と闘うのでしょうか? これは、あなたの地上での天国のビジョンに本当にふさわしいものでしょうか? あなたは、地球外生物が地球を支配しようと企んでいると心配していますか? 次に必要な食料源があるのかどうか恐れながら生きていますか? どうやったら、こんなことが、私たち人間はすべてあらゆる次元でのマスターであるという観点とうまくかみあうでしょうか?

                 『リビング・エナジー』Vol.5(p19) ——————————————————————–
なるほど……。
新しい事態に対するどんな観点も、それなりの現実を生みだすのですね……。
というか、もしかしたら、それ自体で固定的な実体をもつ“現実”というものは存在しないのかもしれません。
あらゆる現実というものは、個々の生き物たちが環境に反応して投影している想念にすぎないのか……。(-_-)
pari 記
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