目に見えないもの その3

前回は、オーラソーマは目に見えないものへの架け橋になってくれるというお話しをしました。
オーラソーマでは、「目に見えないもの」として、チャクラやオーラや魂、意識、天使、瞑想、過去生といったお話が出てくるわけですが、「そういうのは、よくわからない」と思ったりしませんか?
これから、そういうお話しをする前に、この現実の世界、という目に見えるもののことを考えてみましょう。
この目に見える現実というのは、ほんとうに存在するのでしょうか?
そこまで言わないまでも、この目に見える現実だけがすべてでしょうか?
もし物質がすべてだとすれば、この物質が滅びれば、現実はなくなります。
肉体がなくなれば、つまり死ねばすべてが終わるわけです。
現代の科学が証明しているのは、物質は原子核のまわりを電子がまわっている分子でできているわけですが、原子核とそのまわりをまわる分子との間には大きな空間があるわけです。
つまり、それはちょうど、地球のまわりを月が、太陽のまわりを惑星がまわっているような空間が、その物質の中には広がっているということです。 つまり固定した物体に見えるものでも、物質よりも空間が多いわけです。
さらに小さな世界を研究する量子物理学では、観察者の意識が量子の動きに影響することも証明しました。
人間の意識については、脳が意識を作るのかと思いきや、ノーベル賞受賞者の脳生理学者スペリーは、意識は脳の中にはない、とも言っています。
この現実の世界の尺度である時間と空間も絶対的なものではなく、アインシュタインは、時間と空間は相対的であることも証明しました。
大きくこの宇宙を観てみれば、宇宙物理学では、宇宙はビックバンで始まったという、信じられないような仮説を説いています。 だって、米粒よりも小さい点のようなものだったものが、ある日、爆発して、この広大な宇宙になって膨張してる、ということが信じられますか?
そもそも、その小さな点はどこから、いつ始まったのだろうという疑問が生じますね。
またある学説では、この宇宙空間、真空だと思われていた空間にも空っぽではなく、あるものが充満しているのだとも考えられたりもしています。
何が言いたいかというと、目に見えるものを現実と考えるのは左脳の世界、論理的に納得する範囲でものごとを見ようとする世界ですが、実は、左脳の論理、科学で突き詰めたところ、そこには不確実な世界が広がっているということです。
これらの宇宙がどうしてこれほどまに秩序正しく運行してるのか。
大自然の仕組みと動植物の生態の驚異。
そして、この人体の仕組みと機能の不思議。
ある程度の物理法則や原理が解明され、生態や生体の機能や仕組みまではわかっても、何故そうなのかという究極のところは何ひとつ左脳ではわかっていません。
では、見えない世界というのは、どうなのでしょう?
そもそも見えない世界は、どうしたら見えるのでしょう?
続く。。。
尚 記