細部を配慮するという禅の実践

細部を配慮するという禅の実践

 「日本の禅庭園」   クシュブ・ドイッチマン

       

このごろインバウンドと言うんですか、日本に来られる外国人観光客の数がどんどん増えてきているようですね。

こんな増加推移の推測も出ていますが、実際はもっと増えるかもしれませんね。
https://bit.ly/2GlJyrH

まあ、数のことはともかく、外国から日本に来られる方々は、自分が知らない日本を体験したいという感じとともに、自分が興味を感じている日本を確認するために来られるという面もあるのではないでしょうか。

そしてその方々が興味を持った日本は、じつは平均的日本人が常識として知っている日本の側面とは必ずしも一致しないかもしれません。

もちろん来日外国人観光客の多くは日本での買い物にも興味を持っているでしょう。

しかしそうではなく、ごくターゲットを絞った関心を持って日本を訪れる方々も多いのではないかと推測します。

そういう方々は、ふだんから自分が関心を持つテーマがあって、その分野の学者や専門家、あるいはインフルエンサーと言われるような方々の情報に触れているはずです。

そういう方々は、かなり的を絞った関心領域に触れる日本のある側面に惹かれて、それを実際に自分の目で確認したいと思って来日するのでしょう。

そういう観光客は、実際は私たちが普通想像するより、多いのかもしれません。

そうすると、その領域に関する知識では、実際はその方々のほうが普通の日本人より造詣が深いという可能性だってありそうです。

今回ご紹介するクシュブ・ドイッチマンさんの記事などは、まさにそんな感じですね。

この方は、日本の禅文化に対する深い尊敬の念を持ってて、そうでなければけっして触れることができないような日本に触れようとしています。

日本人である私たちがすっかり形骸化した関心しか持たなくなったことに、外国人の方が改めて深い関心を示す。

そうしてまた、日本人の私たちも改めて自国の文化を再認識する。

そういうことも起こるのでしょうね。

それもまた、自然な現象なのだと思います。

では、ドイツ人クシュブ・ドイッチマンさん書かれた記事「日本の禅庭園」から、日本の禅寺の“枯山水”についての文章をご紹介しましょう。


■禅庭園の歴史

7世紀の(菩提達磨や老子、荘子など偉大な覚者を介した)中国から日本への仏教伝来の波のなかで、中国、そして道教の造園術も日本に紹介されました。
それは日本人の霊性全体に浸透していきました。

それに続く数世紀の間に、この技術は完成しました。
12世紀においてサムライたちは、真理の武士として、謙虚と質素、そしてもちろん瞑想による悟りへの道を示した禅仏教を信奉しました。

禅の諸派は急速に重要度を高め、禅僧はあらゆる種類の技芸を鍛錬し、そこには造園術も含まれていました。
そして、その技術はある特定の原則にしたがっていました。

■バランスの原理

創造された空間は、陰と陽の完璧な調和を示すように意図されていました。
この宇宙のすべては二つの力の下にあります。
陰は女性、闇、否定性、受動性、冷たい側面であり、陽は男性、光、積極、活動、熱い側面です。
目に見えるものは、すべてこの対立する陰と陽という二つの要素の表現でありながら、なにひとつ切り離されては存在できないため、一方はつねに他方の要素を包含しているのです。

禅庭園のなかには水と土があります。
水は陰であり、土は陽です。
この二つの力の完璧なバランスを達成することが、ひとつの狙いとなります。
私たちがオーラソーマカラーケアシステムのなかで、よく理解しているように、バランス、つまりイクイリブリアムから全体性が取り戻され、ヒーリングが起き、そして源に帰ること(returning to the source)、レスキュー(rescue)の表現にほかならないのです。

その簡素さと純粋性を強めるために、先に触れたような、実際には水の要素を含まずに、砂と特別にあつらえた小石や砂利で水を表現し、大きな岩で島や山を表現するような庭(枯山水)もあるのです。
また、砂利の色が陰(暗い色調)、または陽(明るい色調)のどちらかの表現を表すこともあります。
その砂や砂利のなかに、注意深く入念に熊手で筋が入れられたパターンが、水紋を表しています。
一年を通じて、毎日そのパターンを描くことは、過去も、そして今もなお禅の瞑想の実践の一部です。
パターンは正確に描かれますが、重要なのは単にその模様だけではありません。
重要なのは、描きだすその行為自体にあります。
気づきと瞑想と、沈黙と注意深さを通じて、僧侶、つまり庭師自身が自然の基底にあるリズムという真の知とシンクロする可能性があり、またそのなかにマインドが吸収されることで、分離したエゴが消滅する可能性を秘めているのです。

オーラソーマでは、マジェンタには小さな事柄の想起や、それに対する愛といった側面があります。
細部への配慮によって、私たちは神性なるものの叡智を知ることができるかもしれません。
細部を配慮するという禅の実践は、熟練者の目標の達成を可能にするのです。
禅庭園のなかの植物は、その姿や性質だけでなく、置かれた位置でも自然の純粋な調和を映しだすことができました。
ですが、禅庭園はその自然な完成において、単に自然を祝福しているだけでなく、それをも超越します。
だからこそ、このような庭園はただ自然に見えることだけでなく、自然を完璧に完成させた姿として表現することを目指したのです。
覚者として、悟った存在は自然が完璧に表わされた姿を示しているからです。

    『リビング・エナジー』Vol.8(p97-98)



【12世紀においてサムライたちは、真理の武士として、謙虚と質素、そしてもちろん瞑想による悟りへの道を示した禅仏教を信奉しました】

【だからこそ、このような庭園はただ自然に見えることだけでなく、自然を完璧に完成させた姿として表現することを目指したのです】

結局、文化伝統とか叡智というのは、それを本当に大切に思う方々が継承していくものなのでしょうね。

pari 記





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