ニューエイジの子ども

ニューエイジの子ども

   『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』より
           ヴィッキー・ウォール

        

私たち人間は自分を取り巻く現実が、一瞬先にどのように展開するのかを知りません。

肉体として家族のなかに誕生したとき、私たちは自分がどんな世界に生まれてきたのかすらまったく知りませんでした。

そしてきっと、赤ん坊としての私たちは、自分の快不快の感覚だけを根拠に、他に何ひとつ顧慮することなく、自分の思いを表現していたことでしょう。

(もっとも、この地球上では、すべての赤ん坊が、それほど恵まれた環境に生を享けているわけではないのかもしれませんが)

でも、幼児のころの、そのようななある意味で圧倒的な優位性は、やがては失われざるをえません。

自分が誕生してきた世界の環境が理解されるにつれて、自分が完全に自由であるわけではなくて、従わなければならないたくさんの規則や、してはならないことがあることがわかってくるからです。

最初のうちは、なにもかも単純でわかりきっていたような気がするのに、わかってくればくるほど、実際はますます多くのことがわからなくなってくるようなのです。

赤ん坊のときは、近くにお母さんさえいてくれればすべては安心でした。

お母さんこそが、赤ん坊が生きている全環境でした。

ところがやがて、そこにはお父さんもいたり、家族があったり、そして長ずるに及んで、家庭の外には自然があり、自分たちが生活する社会があり、じつはお父さんがその社会に出て仕事をしていたり、というような自分が住んでいる世界の様子が見えてきます。

その自分が住んでいる世界の何ひとつとして、自分が造ったものではありません。

では、それはお母さんやお父さんが造ったのかとなれば、もちろんそんなことはなくて、自分がこれを全部作ったのだ、という人は身近には見当たらないのです。

となると、どうしてこの世界がこんなふうになっているのかを、ほんとうの意味で知っている人はどこにもいないわけです。

もちろん、そんな思いが自分のなかに湧いてくる以前に、私たちはたいていは学校に行って、社会科や歴史の勉強のなかで、世界が今のようになってきたその経緯や理由を教わったりします。

そして、じきに私たちは、その与えられた環境に順応して、そこで人間として生存するたくさんの役割を抱えた大人へとなっていくわけです。

自分が生きているそれらの環境の何ひとつとして、自分が造ったものではない。

でも、こうして自分が生きている世界が存在する以上、そして自分にそれを造った覚えがない以上、誰かがそれを造ったに違いない。

では、誰が造ったのか?

そんな、私たちの思いに応えるものとして、神様という概念が創造され、その根本的な教えを伝える場所として、さまざまの宗教伝統が起こってきたのだと思います。

地上のさまざまの地域や宗教伝統のなかで、神様という概念そのもののできかたもいろいろに異なるようです。

でも、これまでの地上世界では、大なり小なり、宗教の代理人たちが神様の声を代理して伝えるという形が取られてきたようです。

もしかして、この地球世界でも、その【宗教の代理人】制度が、あるいは【宗教】そのものが賞味期限切れに近づいているのかもしれませんね。

「ニューエイジ」というのは、そういうニュアンスを包含した言葉のようにも思われます。

ではヴィッキーさんに、その「ニューエイジの子ども」たちについ語っていただきましょう。

        

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20 ニューエイジの子ども

私たちは生まれながらに、生命力をコントロールし指揮している、より高い意識の存在を知っています。
時のはじめより、人は魂の進化に応じて、礼拝をしてきました。
原始社会においては、先祖崇拝が行われ、例えば古代の中国においては、それは宗教となりました。
古代エジプトにおいては、動物や鳥が神として祭られていたのが、のちになって、徐々に人間の形をした神へと移行しました。
自然物(川や木など)や自然現象(太陽や風や雨)に神が宿ると信じるアニミズムは、多くの社会に共通して見られます。
ラー(太陽)は空の統治者であり、エジプト人が敬意を払う、たくさんの神格のひとつにすぎません。

ペルーのインカ帝国では、創造主である神が崇拝され、そのあとに太陽や月や雷や、その他の岩や木などが続くのです。
太陽は、インカにおいては人格を持った神であり、広大な領地を治め、帝国を統合するのに重要な役割を果たしていました。
ドルイド教についてはほとんど知られていませんが、プリニウスやジュリアス・シーザーの記述によれば、ドルイド教では樫の木立が崇拝され、おそらく自然の諸力に敬意が払われていたということです。

多くの原始文明においては、その社会の長である王は、神の権化として機能していました。
それは実際、神性は自らの内にあるということを、内奥で知り、認識していたということではないでしょうか。

人には礼拝が必要なのです。
しかし宗教が意味を持つのも、人が関係を持てればこそ、だからこそ山ほど神の名前があり、山ほど宗教や宗派が存在するのですが、すべては結局ただひとつの光へと通じているのです。


本質はそれぞれのガラスのかけらのなか
そのなかを存在の光が通る
それぞれの淡い破片は、太陽にきらめく
何千もの色に・・・
けれども常に光はひとつ
                   老子




待ちに待ったアクエリアスの時代のはじまりに生まれた今日の子どもは、非常に特別な子どもであり、ニューエイジの使者です。
今という時代に生まれ変わってきた多くの偉大な魂は、ある目的を持ち、地の果てから、それどころか宇宙全体から呼ばれてきました。
彼らは宇宙からやってきた古い魂であり、教師であり、マスターであり、ヒーラーであり、リーダーたちなのです。

 

      『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p212-213)
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【私たちは生まれながらに、生命力をコントロールし指揮している、より高い意識の存在を知っています】

それは少なくとも、この現象世界の中で形を持って出演している私たちではないはずですものね。

【待ちに待ったアクエリアスの時代のはじまりに生まれた今日の子どもは、非常に特別な子どもであり、ニューエイジの使者です】

さあ、どんな時代がはじまるのか? (*-_-*)

pari 記

 

 



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