子どものスピリットを開放する
「チャイルド・ワークショップ」より リッキー・ヒルダー
オーラソーマのイクイリブリアムボトルを、教育現場で白紙状態の子どもたちに直接触れさせる、そんなことを試みた方がいるんですね。
日本などだと、子どもがはじめてオーラソーマのボトルに触れるのは、通常は家庭内で親からなんらかの雰囲気や価値観を伴った状況でしか起こりえないように思われますが、考えてみれば、こういう状況もありうるわけです。
教育現場の状況が、日本と何か違うのでしょうか?
それとも、その先生のオーラソーマに対する思い入れがかなり特殊なのか。
しかし、どちらの場合でも、子どもたち自体はなんの抵抗もなく、起こったことをそういうものだと思って、そのまま素直に受け入れたでしょうね。
やっぱり、個々の人間の人格とか思い込みというのは成長過程で必然的に構築されていくわけで、時代性や国民性があるのは当然のことですね。
当たり前のことですが。(*^_^*)
しかしいずれにせよ、教育現場に直接オーラソーマを持ち込むというような、こういうことが実際に起ったのだとすれば、オーラソーマというものとの出遇いがその先生にとってはそれだけのインパクトがあったということなのでしょう。
しかもこの先生リッキー・ヒルダーは、必ずしも私学だけではなく、公教育の現場にもオーラソーマを持ち込んだというのですから、日本の常識で考えると驚きです。(@_@)
公立の小学校でここまでの自由裁量が許されるとは。
日本の教育って、優れている面ももちろんあるでしょうが、自由さという意味では、遠く及ばないという感じがしないこともありません。
この先生は、この「子どものスピリットを開放する」ワークショップを、大人たちのために開いているというのですから、その確信たるやたいへんなものですね。
ではオーストラリアのオーラソーマティーチャー、リッキー・ヒルダーさんの「チャイルド・ワークショップ」からご紹介します。
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私のガイダンスはボトルと子どもたちの両方、そして両親、教師、保母、誰であれ子どもたちをほんとうに思いやるすべての人々と直接ワークすることです。
これはさまざまな方法で発展してきました。
ひとつの方法はボトルをカトリック系、公立両方の小学校に持ち込み、子どもたちにシンプルな創造的活動を与えることでした。
私は先ず彼らの一人ひとりがいかにスペシャルで価値のある存在であるかということについて話をし、それぞれユニークなあり方でスペシャルであることを体験させました。
彼らのボトルの選択、クリエイティヴな表現、身体表現、グループダイナミック、すべてが物語っています。
ボトルが非常にシンプルでさり気ないやり方で毎日の学校生活のなかにおいて子どもたちに出会えるのは、ほんとうにエキサイティングなことです。
ワークショップで与えられるテクニックと情報とともに、ボトルは微妙に子どもたちの生を変容しはじめています。
教師向けに開いているワークショップは、子どもたちとより良い関係を築くことについてのものです。
私はボトルを使い、子どもの行動の背後にあるものについて深まってきた理解に関する情報を彼らに与えます。
私たちは教室の状況に対するより深い洞察が生まれるスペースを作ります。
そして教師たちはこのことが彼らの仕事をサポートし助けると感じています。
子どもたちは彼らの「教師を学ぶ」のだと確信するに至りました。
私の「子どものスピリットを開放する」ワークショップは大人たちのためのものであり、そこには一人ひとりの子供(私たちの内なる子どもを含めて)がユニークでスペシャルな存在であるという共通の信念を持った様々な分野の人々がやってきます。
そして学校における私のワークの背後にある理論と、子どもに個人的に、そしてグループとして働きかけるためのシンプルで実際的なテクニックの両方に焦点が当てられます。
……
『リビング・エナジー』Vol.2(p72)
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【ボトルが非常にシンプルでさり気ないやり方で毎日の学校生活のなかにおいて子どもたちに出会えるのはほんとうにエキサイティングなことです】
なるほど。(-_-)
【子どもたちは彼らの「教師を学ぶ」のだと確信するに至りました】
当然とも言えますが、考えてみれば、なかなか恐ろしいことですね。
pari 記