説明しがたいこと、理解しがたい事柄

説明しがたいこと、理解しがたい事柄

「アドバンス・コンサルテーション・テクニック」から  マイク・ブース

       

わたしたちの理性は、未知に向かって貪欲に探求を進めたいと望む一方で、同時にすべての事柄を自分が理解できるパターンにはめ込みたいという避けがたい欲求も持っているようです。

科学上のさまざまな大発見が、まったくの偶然から、あるいはある種の間違いから、起こってしまったというのはよく聞く話です。

むろん、多くの発明発見が、研究者たちの飽くなき探究の果に発見されたものであることに疑いはありません。

しかしまた、それらの発明発見が、研究者たちの予想とはまったく別の次元から起こってくることがあるのも事実なのです。

研究者たちの予想や推測は、それまでの研究の延長上に、それまで発見されたパターンを拡大延長したところに生まれているはずです。

理性とは、あくまでも自分が現在持っているパターン認識の形を延長して現象世界を理解しようとする試みだからです。

それはかなりの確率において成功を収めてきました。

しかしまた、かなり多くの場合に、まったく新たなパラダイムを引き起こすような大発明・大発見は、それまでの合理的なパターン認識形態を破壊するような形で起こってきてもいるのです。

つまり、合理的に理解しようとすることは、正しい行為であり、避けられない方向ではあるのですが、同時にそれは、現象を自分が今理解できる合理性の範囲に閉じ込めようとする危険性もはらんでいるということです。

いみじくもソクラテスが言ったように、自分は何も知らない、ということこそが、わたしたちが断言できる最大の智慧であるかもしれないのですね。

そんな内容に触れたマイク・ブース氏の言葉をご紹介しましょう。

       

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常に私たちは、色と光のワークの最先端を推し進めています。
不合理な物事を合理化しようと努め、説明しがたいこと、理解しがたい事柄に意味を与えようとしています。

 

 

しかし、私たちのいる位置とは、常にそうしたものなのです。
私たちは今、起こっている物事を釈明しようとする必要はないというところに行く必要があるのだと思います。

 

ヴィッキーが変化の妥当性を見て取り、できるだけクリアな方法で、その時点において、そうした事柄のサポートを必要としている人たちに対して見ているものを説明していた、そんなやり方でこれらの関連を見る必要があるのだと思います。

 

そして私は反面、将来別のレベルでの安定が戻ってくるかもしれないという楽天的考えも持っているのです。
しかし、やはりそういうことはないかもしれません。

 

不安定さというのが、全体の一部となり、特定の色を持ったさまざまなボトルのカタログが載っている図や、色のシートなどを手放さなくてはならなくなるような時がくるかもしれません。

 

というのも、そうなれば、私たちが現実に目にしているもの、それは私たちがいる時代にふさわしい色を持ったボトルであるわけですが、そうしたものに直面した時に混乱が生まれるでしょうから。

 

とにかく今は待ってみる必要があるでしょう。

 

私は本当に、聖なるもの、奇跡的なものの結果を簡単に片付けたくはないと思っているのです。

                 
『リビング・エナジー』Vol.4(p6)
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たしかに、最先端を行く者は、自分は何も知らないことを嫌というほど感じさせられる場面を多く体験させられるのでしょうか。

なんでもわかっていると思っている者は、じつは聞いた話をすべて真実だと思っているだけなのかもしれません。

pari 記

 



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