あるがままの自分に寛ろぐ
「カウンセリング[内なる宝の扉への鍵]」から
ラハシャ・フリッチョフ・クラフト博士
スピリチュアルな世界が好きな人で、“あるがままを受け容れなさい”とか“あるがままの自分を許しなさい”といった言葉を聞いたことがない人はいないかもしれません。
つまり“あるがままを受け入れる”のは、それほどにも難しいということでしょうね。
なぜなら私たちはこれまでつねに、“あるべき姿”に向かって努力しなければならないと教えられてきたからです。
ということは、“あるがまま”そのままでいいとか、“あるがままの自分”を受け容れなさいとは、まさにこれまでの“あるべき姿”から降りなさいということになります。
「“あるがままの自分”でいいなんて、なんと楽な!\(^-^)/」、と理屈では考えられます。
じゃ、“あるがままの自分”を受け容れなさいと聞いて、自分でもその通りだとわかったら、それでもう二度と後悔することもなければ、自慢することも起こらないのか、といえば、もちろん、そんなことはありません。(*^_^*)
そうは簡単に、問屋は卸してはくれないわけです。(^_-)
私たちはそれほどにも深く深く、“あるべき姿”に向かって努力することが、自分の本来のあるべき姿だと信じているわけです。
つまり、簡単には“あるがままの自分”を受け容れることなどできないわけです。(^^;)
“あるがまま”や“あるがままの自分”を受け容れられないとは、私たちはつねに現実はもっと違う姿をしているべきだ、と信じているということになります。
でも、それって、一生落ち着くことのできない生き方ということですよね。
ラハシャ博士は、それについてどんなことを言っているのでしょうね。
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あるがままの自分に寛ろぐ
では、なぜそうなるのでしょうか?
それは、どんなネガティブな体験の痛みも、事態が別であるべきだという解釈のなかに横たわっているからです。
人が体験そのものとひとつになった瞬間、その副産物が喜びであり、愛であり、あるがままの自分への寛ろぎなのです。
驚愕すべき現象とは、感情や情緒や体験とひとつになることのなかで、ネガティブな側面はただ消えてゆくことです。
神秘的な発見は幸福、至福、平和、愛、自由のように、常に外側に求められてきたものが、すべて内側にすでに存在していたものとして再発見できることです。
人間が追い求めているものはすべて、お金でも、もっと大きな家でも、もっと大きな車も、あるいはもっとおもしろい愛のパターンを追い求めることも、それは基本的には幸福、至福、平安、愛、自由といったものを求めるという、この必要性を充足しようとしているのです。
あらゆる欲望は、一体性に戻るという根本的必要性を満たそうとするのです。
けれども、いったん私たちが内側に目を向けそこにあるものを見ようとしたら、私たちはこの一体性から自分が一度も離れたことがないことを発見します。
カウンセリング、オーラソーマ、その他のヒーリング・テクニックによって、再びひとつになろうとするこの試みは支援されるはずです。
オーラソーマの色彩のなかで、クライアントは「これが本来の自分だ」と明確に思いだすことができます。
その認識のなかで寛ろぎが起こり、その色で表現されるのを拒絶されていたかもしれないエネルギーが、家路に着くことができるのです。
そのまさに歓迎のなかで癒しが起こるのです。
それは、そこに一体性が起こるからです。
その一体性の副産物が喜び、愛、至福であり、平安なのです。
カウンセリングでは、カウンセラーがクライアントをサポートして、別であろうとするどんな希望も持たずに、ただあるがままを見て認識できるようにすると、一体になるというこの同じ現象が喚起されます。
クライアントが現にあるものを完全に体験できるようにカウンセラーがサポートすると、現にあるものとの闘いに囚われていたエネルギーが解放されます。
自分に目を向けると、私たちはどれほどのエネルギーが、あるがままの自分との闘いに浪費されていたかを発見します。
自分のなかで闘っている対象はすべて外側の世界にも反映されますから、私たちは同じものと自分の外側でも闘っているのです。
私たちが自分と闘うのを止め、自分のなかにあるものを全面的に体験する瞬間、私たちは内なる愛と受容を発見し、同時に全ゲシュタルトが変化し、世界の見方の全体が変化します。
私たちは世界と闘うことも止めます。
これは恋に陥った人が最もよく表現しています。
恋人は全世界が愛であることを、全世界が花園であることを感じます。
ですからカウンセリングとは、クライアントがすでにある自分を発見するのを助ける単純なサポートなのです。
クライアントが何かを変更したいと望んでいる場合でも、カウンセリングはクライアントのなかの何ひとつ、変えるという意図を持っていません。
逆説とは、内側の何かが変わるのを待つことによって変化が起こることはありえないことです。
変化と変容が起こるのは、別のものであろうとすることを止めることによって、あるがままを見て生きることによって、そしてあるがままのなかに寛ろぐことによってしか起こりません。
『リビング・エナジー』Vol.4(p14)
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【別であろうとするどんな希望も持たずにただあるがままを見て認識できる】
【自分と闘うのを止め、自分のなかにあるものを全面的に体験する瞬間、私たちは内なる愛と受容を発見し、同時に全ゲシュタルトが変化し、世界の見方の全体が変化します】
試してみる価値があるかもしれませんね。(^^;)
pari 記
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