コーラルは相互依存に関係する
「コーラルという色について」より クローディア・ブース
自分は誰か、日常的に四六時中そんなことを考えている人はほとんどいません。
もちろん、自分は誰かを当然知っていると思っているからです。
だから、改めてそんなことは思いもしません。
自分といえばこの身体とそこに発生している思考過程のこと。
人格とか履歴とか、記憶と想像に由来するその他もろもろの付着物をともなった、この身体とそれにまつわる物語が、いわゆる“自分”です。
と、まあ、思っています。(^^;)
そしてこの変化する世界のなかで、われわれ人間は毎日起こることを、その“自分”の立場から解釈せざるをえません。
だから、人によって世界の解釈は、とても異なるわけです。
そして、その解釈によって、それに応じた感情を体験することになります。
ということは、われわれ人間の感情は、“自分”をどのように認識しているか、どのような自己定義を持っているかで異なることになります。
でも、この身体を自分だと思っているわけですから、いずれにせよとても傷つきやすい不安な自己像を持っていることだけは間違いないでしょうね。
それが、安全と拠り所を求めて、自分を守ってくれる何かに「依存」したいという感情の根本的な原因でしょう。
でも、人間は誰しも多少なりとも不安と心配を抱えているので、この「依存」という感情は、人間関係のなかではとても厄介な問題を生みだすようです。
このような問題に関して、「コーラル」という色はとても深い関わりを持っているようです。
では今回は、クローディア・ブースの「コーラルという色について」という記事から、依存に関係するあたりの部分をご紹介しましょう。
——————————————————————– 私たちはレベル1 とレベル2 のコースで、この色が共依存や自立ではなく、むしろ相互依存に関係することを学びます。 コーラルでワークをしたり、コーラルについて瞑想することは、自分が誰であるかについて、またどこで自分が感情的視野から反応しようとしているかについて、その概念の基盤を見る機会を与えてくれます。
私たちの態度は、どれくらい意識的でしょうか? 状況に反応するとき、私たちの感情は巻き込まれます。 その反応を生みだした最初の体験はなんでしたか? それは現在も有益な反応ですか? 私たちが自分の行為や反応の仕方を変えない場合でも、その背後のエネルギーが少なくなっている可能性があります。 もし自分の反応する性質に関して、より意識的だとしたら、私たちはより創造的で助けになる行為にエネルギーを保ちはじめられたかもしれません。
共依存
もし、私たちが共依存の状態にあったら、私たちは相手が自分のためになにかしてくれることを求め、その相手に寄りかかっています。 それは、相手にはどんなふうに感じられるでしょうか? おそらく相手は、あなたを重荷に感じるでしょう。
私たちはなにかの理由で、ひとりで立つことに恐怖を感じています。 その理由はなんでしょうか? それは、どこから来たのでしょうか? 共依存は、また相手側もあなたに寄りかかっていることを暗示しています。 共依存関係に関わる者は、そこからなにかを得ており、現状を、つまり生みだされる半“調和”を楽しんでいます。 しかし、やがて息苦しさを感じるときが来ます。 なんらかの理由で、そこにはじゅうぶんな自由がないのです。
その関係性の両方、またはそこに関わる者は、なにかを諦めたか、またはそのような関係の中にいるために、自分にとって重要ななにかを無視しているのです。 最後には、私たちは自分自身に対して真実でなければならず、その時点で共依存の関係はストレスとなります。
自立
そして、自立があります。映画などでよく、約束をしたり、あるいはしばりつけられたくない登場人物を見かけます。 彼らは自分が依存しないでいられる、つまり自立していると考えます。
ブッダのボディにおけるキリストのイニシエーション は、ある意味で自立に関係しています。 それは個性化のプロセスです。
しかし、私たちがもっと本当の自分自身を知るようになり、あるがままの他者を認めることができればできるほど、私たちはより多くの思いやりを与えたり、体験したりすることができるようになります。 その体験こそが最大の喜びです。 人間として私たちは依存しないでいることはできません。 それを望む人はいるかもしれませんが、“人は、ひとりでは生きていけないのです” このテーマを特別に探求した映画があったと思います。
もし、自分がなにひとつでも他人に依存していなかったのだとすれば、自分がなにをしなければならないのかを想像してみてください。 今日、隣の村で水道管が破裂して、私たちのところは6 時間以上断水しました。
なんの警告もなかったので、私たちは誰も飲み水の取り置きをしていませんでした。 たった一日でも、水が得られないことを想像してみてください。 たまたま、その日の気温は30 度に達しました。 暑い日だったのです。
そこで、コーラルの色を使って、また海の珊瑚のように、私たちは相互保全の体験(つまり、自分がいかに多くのものにサポートされており、また自分もサポートをはじめることができるという体験)をはじめることができるわけです。
『リビング・エナジー』Vol.6(p121-122) ——————————————————————–
なるほど……。
「人間」とは「人と人との間で成り立つ存在」だ、ということを聞いたことがあります。
一人ひとりの人が揺らいでいるわけですから、そのなかで相対的な安定を築くだけでも、大変なことですよね。(-_-;)
他者を受け入れる、その力を育てることを「コーラル」はサポートしてくれるのですね。
pari 記
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