転生と地球

転生と地球―価値観の転換へのメッセージ/高木 善之 ¥1,600 Amazon.co.jp
このブログをご覧になるような方は、“自分とはじつはこの身体ではない”というような言葉を、少なくとも一度くらいは、どこかで耳にされたことがあるだろうと思います。
ですから、そういうことは二十一世紀に入ったこの時代になると、多くの方々がすでに情報としては知っているわけです。
情報としては知っているわけですが、では実際に日常、この身体を自分ではないものと見なしながら生きているのかとなったら……そんなわけないですよね。(*^_^*)
もちろん、この身体を自分だと思って、このからだが生き延びるということを最優先事項として、われわれは日常生活を送っているわけです。 不思議なもんですね……。(-_-;)
情報として知っているということ、あるいは頭では信じているということと、それを事実としてそのように生きるということは、どうやら、まったく別のことなんですね。
この時代、じつはこの身体が死んでも自分は死なない、あるいは死なないらしい、と頭で信じている人は、わたしを含めてそれこそごまんといるだろうと思います。 だって、そういうことに触れた情報が、これまたごまんとあるわけですから。(^_-) でも、信じているけど、知っているわけではない。 ただ、そう信じられるし、今ではたくさんの人たちがそう言っているからですよね。
今日ご紹介する本を読んだ当時も、知識としてはそのことを知っていました。 でも、ああ、誰もが知っている人が、こういうことを書く時代になったんだなぁ、と新鮮な驚きだったことを覚えています。
これは日本最大のNGO、環境ネットワーク『地球村』の代表高木義之さんが、現在の高木さんになる転機と、その内面で起こったことを初めて発表された本です。 しかも、高木さんだけあって、とても感動的な本です。 これだけの意味のある内容を中だるみせずに、全編、最初から最後までひとつの感動のうねりの中に描ききっているのはまさに驚嘆に値します。 それだけ書いている人のヴォルテージが高かったんでしょうね。
まあ、この本にはたくさんの側面があって、とても一概に分類などできですが、ここではとりあえず、一人の著名人の臨死体験の記録として取り上げます。 臨死体験の本は、日本語に翻訳されているだけでも何冊かあります。
でも、毎日講演で日本中を駆け回っている人が“臨死体験”を通り抜けてきた人だったとなれば、それはどこか外国の方々の臨死体験とはまた意味が違いますよね。
それほど「肉体」の死が「意識」の終わりではないことがあからさまになってしまえば、つまり地球人が従来常識としてきた「死」がじつは存在しないことが自明になってしまえば、それはこれまでの地球世界の……いわば終わりの始まりみたいなもんですよね。^^;
ちょっと、その辺りの記述を、立ち読みしてみましょうか。
——————————————————————– ・一九八一年四月二十七日 日曜日午後三時
 その日、昼寝から目覚めると、珍しくオートバイに乗りたくなった。  そしてどこに行くでもなく国道一号線を京都に向かって走っていた。  そして、気づいたときは遅かった。  自動車がこちらみ向かって走ってくる!  “何なんだ、これは!”  分離帯のある国道でクルマがこちらに走ってくることはありえない。  ありえないから夢に違いない。  ともかくブレーキをかけなければ。  だが、とうてい間に合う距離ではない。  急ブレーキの音。  スローモーションのようにクルマが近づく。  ゆっくりと接近……そして……ガッシャーン!  ………………………………………………  “ん? 痛くない…………”
 周りを見ると、オートバイが横転……  バウンドしながら横すべりしていく……  自分の身体も吹っ飛び、道路に叩き付けられる……  ヘルメットがこわれて、道路を転がっていく……  それを見ている私。  私は、自分の交通事故を目撃しているのだ。  ヘルメットは歩道を歩いている女の人の足元まで転がっていった……(p18-19)

       『転生と地球』 ——————————————————————–
ふーむ。(-_-)
迫力ありますねぇ……。
まるで、自分の目の前にそのクルマ近づいてくるような感じですね。
高木さんの長い痛みの体験は、病院で意識を取り戻すことからはじまるのですが……。
pari 記
     
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