無条件の愛――キリスト意識を鏡として

無条件の愛―キリスト意識を鏡として/ポール フェリーニ ¥2,205 Amazon.co.jp
この本は、ひとつにはインターネットで印象的な表紙の絵を見て、そしてもうひとつには帯に書いてあるキューブラー・ロスさんのお薦めに寄り切られて、買ってしまったような記憶があります。 どうやら当時はキューブラー・ロスさんに薦められると、ついその気になって買ってしまったのかもしれません。 でも確かに、キューブラー・ロスさんが“聖書のように読んでいる”と薦めているだけのことはありました。 当分、この一冊でその他の本を読む気にならなければいいが……と思ったものです。 ずいぶんたくさんの付箋を貼って、そのうえ付箋に赤マジックの点まで追加して、何度か読み進めた形跡が残っています。 といっても、今その何かを覚えているわけではありません。 現に、今その付箋の一箇所を開けてみると、へーこんなことが書いてあったんだ、なんて思いますから。(*^_^*)
「赤心(しゃくしん)もとどまらず。片々として往来す」なんて言葉が、いまふっと浮かんできましたけど……。
ポール・フェリーニさんがイエスから受け取ったとおっしゃっているこの本のメッセージは、やはりポール・フェリーニさんをとおして現れたメッセージなんでしょうね。
イエスの教えによると、あらゆるスピリチュアルな病の根元には“罪の意識”、つまり“やましさ”があるのだそうです。 自分は“愛されるに値しない”という無価値感こそが、癒されるべきわれわれの“傷”そのものであるらしいですね。 そしてそれを“宥(ゆる)す”ような無条件の愛を、他人に求めてもそれは無理だというのです。 自分で自らの傷を癒すためにこそ、無条件の愛を実践しなければならないということなのでしょうか。 それが自分を“宥す”ということであり、それを行うためには、当面、他人の中に表現されている“宥しがたい自分”を宥すことから始めるより仕方ないと。 つまり、他人を無条件に宥すことによって、自らを癒していくより他に道はないというわけなんでしょうねぇ。 たしかに、他の人を自分の判断基準でジャッジするということは、自分のなかのその側面を自分の一部として認知しないということですよね。
……うーむ。
「なぜ恐怖を抱くのですか。それは、自分に愛される値打ちがなく、おたがいを愛する能力もないと信じているからです。  たったひとつ、この信念を変えさえすればよいのです。人生のすべてのネガティヴなものは、自分についてのこの誤った信念をぬぎすてたとたんに、はがれ落ちます。」
ちょっと立ち読みしてみましょうか。
——————————————————————– あなたは自分がこの世界にいるのは、有意義でかっこうのよいことをあれこれ達成するためだと思っているでしょうが、それはあなたのエゴが人々に認められようとして叫んでいるにすぎません。
あなたがここにいるのは、何かをなしとげるためではなく、自分や他人について抱いているまちがった観念や信念をゼロにもどすためです。 だれも、あなたの代わりにそれができる人はいません。 あなたがそれらの観念を受けいれたのですから、こんどはあなたが拒否する番です。 偽りを拒否することは、別段かっこうのよい仕事ではありません。 実際それは地に足のついた、とても地味なプロセスです。
どうか、ちょっと時間をとって、あなたの立てた目標の数々をながめてみてください。 世間的に何かをなしとげることにかかわる目標がいくつあるでしょうか。 ほとんどがそうかもしれません。 しかし、それを恥じることはありません。 あなたの注意が、ひたすら外界に向かっていることに気づいてください。 そして気づいてほしいのです。 かりに、それらの目標がぜんぶ達成されたとしても、あなたは幸福にならないだろうということに。
幸福はいま現在の瞬間にしかありません。 いまあなたが幸福であれば、それ以上に、何か達成すべきことはありません。 もしあなたが明日幸福になれるとか、五分後に幸福でいられるかとかに心をわずらわせれば、いま幸福になる、ということを忘れてしまいます。 計画や願いごとのすべてが、あなたを現在の幸福から遠ざけてしまうのです。
 (p156-157)  
 『無条件の愛――キリスト意識を鏡として』 ——————————————————————–
うーむ……。
「あなたがここにいるのは、何かをなしとげるためではなく、自分や他人につ いて抱いているまちがった観念や信念をゼロにもどすためです」……。
なるほどなぁ……。
「計画や願いごとのすべてが、あなたを現在の幸福から遠ざけてしまうのです」……。
そういうことなんでしょうかねぇ。
pari 記
     
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