愛しのテラへ

愛しのテラへ―地球と私たちが光り輝く日のために/岡田 多母 ¥1,785 Amazon.co.jp
われながらよくも変わった本ばかり好きだったなぁ、と思います。 常識的な情報でなければ、すべてが真実に思えたのかもしれません。 通常“超古代”に関する情報などは、チャネリング情報に由来するするものが多いような気がしますが、この本の場合はご本人の記憶です。 その意味では、少なくとも日本語の文献としては極めて異例だと思います。
「小学校三年生のある日、勢いよく漕いでいたブランコから落ちたときのことです。  以前にも確か同じようなことがあったと思いながら、落ちていくうちに、私は、断片的に頭の中にあった記憶が一挙につながって、自分の過去世を思い出していました。  それは地球上での私の最初の生の記憶であり、ブランコからはずれて空に飛んだ、その一瞬の出来事でした」
著者の岡田多母さんの魂が最初に地球に生まれてきたのは、地球が誕生して間もないころだったそうです。 アイル少年が五歳まで生きた当時の地球は、野も山も緑鮮やかで、人々は元気ではつらつと生きていました。
「村はいつも平和で穏やかで、すべての人が神や自然とともにあり、テラ(地球)とともにありました。  不安や畏れを知らず、心はいつも感謝に満たされていました。  国や民族という言葉はまだなく、そこはかぎりなく調和に満ちた麗しい世界でした。  そのころ、人間たちはまだ空を飛ぶことができました。  肉体も軽く、ゆったりと飛んでいました。」 人間がまだ空を飛べた頃の超古代の地球を自分の過去世として思い出した方の記録を、寡聞にしてわたしは他に知りません。 その時代から地球は子供たちに合わせてひたすら波動を降下させてきたのだそうです。 でも、それも今が限界、90年代のあの頃から再び人間が空を飛べる時代に向かって、地球は急速に波動を上昇させているらしいですね。
ちょっと立ち読みしてみましょうか。
——————————————————————–  テラは、私たち地球上の生命体を育てはぐくみ愛することで、自らの進化を進めるプログラムを持った生命体です。……。 私たちが魂という球を持つように、テラは地という魂を持っています。 そして人の魂、動物の魂、植物の魂、鉱物の魂、空の魂、すべてを「地の球」としてまとめ上げる役目を選んだのです。 そして「テラス(天顕透)」という完全な進みを成す覚悟を決めました。 そのときから私たちも「テラス」に向かって進化することになりました。「このテラス」という進化は純粋化であり、正常化であり、透明化でもあります。
すべてをもっとも汚れなき状態にすること、源の意思を純粋に映し出し、表すことです。 無垢なる源を、さらに無垢なる状態に進ませることです。 こうした本来の「ススメ ススミ ユク ミチ」をテラが進んでいく過程で、テラは、その全体の総合性と調和性を崩しました。 その主因は私たち人類です。 人類の歴史を振り返ってみると、テラの進化の乱れにも納得がいきます。 テラは常に、共に生き、共に栄え、共に愛し合うことを望み、人類が何をしようと、どんなことを成そうと、ただ黙って見守っていました。 そしてそうした自らの育て方、はぐくみ方、愛などに自信をなくし、すっかり老いてしまいました。 たくさんの存在に臑 (スネ) をかじらせてくれていたテラが、力尽きてきたのです。 このテラの老いを感じた私たちがテラに呼びかけを始めました。 「地球が危ない!」。 宇宙知性たちも一心にメッセージをくれました。 「なんとかしよう!」と。 この呼び声にテラが息を吹き返したのです。 いま閉じていた瞳を開け、再び、自らのプログラムを新たに感じ始めたのです。 そして、決心してくれました。 「もう一度やり始めましょう」と。 その兆しは1990年から始まっています。 が、地球が自ら決意したのは昨年1996年のことです。
(P130-131)      『愛しのテラへ―地球と私たちが光り輝く日のために』 ——————————————————————–
そうかぁ……。
地球の決意が固まったのは、1996年のことなんですねぇ。
それにあわせて、地球の子供たちの決意も固まってきたのでしょうか……。
時代をずらして、改めて読んでみるとまた新たな発見があるかもしれませんね。
pari 記
     
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