自分をいたわる:コンパッションのボトルとダライラマ 

コンパッションというのは、
慈悲や思いやり、というふうに翻訳されますが、
具体的には、さまざまな状況でのコンパッションがあります。

オーラソーマで、コンパッションのボトルというと
何番のボトルになるでしょうか?

私は67番のマゼンタ/マゼンタのボトルが
これに該当すると思っています。


https://aura-soma.co.jp/products/equi/B067.html

ボトルの名前は「天からの愛」
(Love from Above)となっていますが、
仏様や菩薩様からの愛とも言えます。

ダライ・ラマやチベットの僧侶は
マルーン色の衣服を身につけていますが、
その色はマゼンタにとてもよく似ています。

コンパッションの色ともいえるでしょう。

コンパッションは自分へのコンパッション、
自分をいたわることからはじまります。

自分をどのようにいたわることを知らない人は、
人をどのようにいたわるかも、わからないでしょうから。

自分が傷つくことで、
そんな自分を認め、愛することの大切さを知り、

ゆっくり自分をいたわり、
ムリせずに楽しめるようになった人は、

同じように傷つき、
辛い思いをしている人の気持ちを理解し、
いたわりの気持ちを持つようになるでしょう。

ここに67番を使った人の感想があります。
https://aura-soma.co.jp/reviews/4267.html

そこには次のように語られています。

————————————–
「自分をいたわることの大切さを学びました」

 何か、ずっと満たされない感覚があって、
 それは他人からとか物理的なものでは埋められない
 感覚があったので、このボトルを選びました。

 ボトルとワークする直前に、
 友達との間で嫉妬心を感じる出来事がありました。

 彼女は物質的にも人間関係にも恵まれているのに、
 私はそうじゃない。
 原因は彼女は心を開いているのに、
 私は心を閉ざしているせいじゃないかとは
 わかっているのですが、
 心の傷が深くて、心を開くのが怖くて。

 そんな自分をなんとかしなきゃと思っていたのですが、
 そういった自分を追い込むことにも
 疲れ果ててしまっていました。

 ワーク中は、さらに深く自分の中に閉じこもっていました。
 傷が癒えるまで穴蔵に引きこもる動物のように。

 その間、自分の傷ついた部分を
 たくさん感じる出来事にあいました。

 あまりにも辛くて、
 蓋をしてなかったことにしようと思っていたのですが、
 蓋が外れてたくさん泣きました。

 そして、そこからまた自分をちゃんと認めよう、
 愛そうという気持ちを新たにして、
 今までやりたいけどやってこなかったことを
 ひとつはじめました。

 今までは、自分に厳しすぎて、
 自分で自分を追い込んでプレッシャーをかけてしまうので、
 チャレンジできなかったことや
 続けられなかったことが
 ずいぶんあったなあと感じるようになりました。

 今はそれが少し緩くなったせいか、
 物事を続けられていたり、
 チャレンジのハードルは低くなりつつあります。

 何事も、ゆっくり自分をいたわりながら、
 ムリせずに楽しめるペースで
 やっていこうと思えるようになりました。
 
By なおちゃん 東京都/40代/女性
————————————–

心の傷を癒すためには、
まずその傷を認めて、それを感じて、
愛することがとても大切です。

この方は誰に教わるわけでもなく、
ボトルを使うことで、
自然と自分を愛するようになり(いたわり)
その心の傷を受容することを通して、
物事を続けられるようになった
というのは素晴らしいですね。

もうひとつコンパッションの例を紹介したいと思います。

コンパッションを世界に広げる活動をされている
ダライ・ラマの場合です。

ダライ・ラマは中国のチベット侵攻により
チベットという国を逃れ、
インドに亡命する身となりました。

1939年、インドのダラムサラに
亡命政府を樹立することを
インドのネルー首相に認められ、
今では、チベットを世界の人々の平和と
癒しの地域にすることを願って活動しておられます。

そのためには、
そこに住む一人ひとりの心が平和でなければならない。

一人ひとりの心が平和であってこそ、
平和と癒しの地域が可能になるということで、
そのための教育が何よりも大切だと語っています。

そのダライ・ラマのいるチベット子ども村では、
コンパッションに基づいた教育がなされています。

チベットの子どもたちは亡命などで
両親を失った子どもたちが多く含まれています。

「コンパッション」の著者、
ツプテン・ジンパ博士の両親も
ダライ・ラマと一緒に亡命してきた人たちのひとりでした。


https://oejbooks.com/products/compassion/

この子ども村の子どもたちと、
中国に残された子どもたちを比べると、
中国統治下のチベットでどれだけ大きな
精神的破壊が起こっているがわかると
ダライ・ラマは語っています。

そして、ダライ・ラマは子ども村の子どもたちについて、
次のように語っています。

「ここにいる子どもたちは、辛い体験をしている。
 しかし、困難に直面しているときにこそ、
 深い豊かな人間性を育てるチャンスでもある。

 他者に対する愛や深い慈しみの心は、
 忍耐と寛容の実践を通して学ぶもの。

 誰かがあなたに耐え難い悲しみを与えたとき、
 そのときその人に、
 激しい怒りや憎しみの心が起こってくる。

 まさにそのときこそ、耐える心を学び、
 許すことを学ぶ絶好のチャンスなのです。

 そのためには、
 あなたの苦しみを与えてくれる人が必要になるのです。

 そして自分に苦しみを与えてくれた人にさえ、
 尊敬や感謝の念が生まれてくるのです」

なかなかこのようには思えないものです。

しかし、
ダライ・ラマの語っているコンパッションは、
単なる理論上の空論ではなく、
彼自身が直面している現実のなかから
彼自身が実践してきているものでもあるのです。

そんなダライ・ラマがいう言葉だからこそ、
その言葉には真実があります。

今世界は動乱のなかにあると言っても
過言ではないでしょう。

このような急速な混乱と変化のなかにあって、
私たちが心の平静を保ち、
前向きに生きていくためには、
コンパッションの精神はとても役に立つものです。

CCT(コンパッション育成トレーニング)で
教えるコンパッションは、
宗教としての仏教に根ざしたものではありません。

スタンフォード大学の利他主義の研究に基づいた
より普遍的な人間性の本質に
根ざしたものとして教えられています。

そのコンパッションは、
誰もが科学的に身につけることのできるスキルなのです。

毎月一回、第一水曜日に無料で提供している
コンパッション実践会では、
CCTで教えているコンパッションの
ガイド瞑想からひとつ選んで、
実践する機会を提供しています。

誰でもが無料で参加できますので、
コンパッションのスキルに興味がある方はご参加ください。
https://compassioneducation.jp/schedule#practice

尚 記