ちゃんとしたセンターが必要になってきた

ヴィッキーさんが誕生させたオーラソーマ製品が、いつの間にか売れるようになり、こうして現在も継続して製造販売されていることは、じつはとても不思議なことです。

バランスボトル(現イクイリブリアム)からはじまったオーラソーマ製品を購買するべき理由を、消費者に宣伝することは、とうてい不可能だったとしか思えないからです。

オーラソーマ製品は売ろうとして売れる商品ではありませんでした。

創始者であるヴィッキーさん自身が、これが何をするためのものなのかを知らなかったからです。

それでも、買い手は現れ、製造され、陳列された商品ははけていき、さらなる再生産が求められていったのです。

こういうことが起こったのは、こういうことが起こることになっていたからだとしか思えないようなところがあります。

すべてはオーラソーマという物語のシナリオに沿って展開していったのでしょう。

とはいえ、その物語に巻き込まれた方々にとっては、なかなかたいへんな時期ではあっただろうと想像されます。

そのドラマの登場人物たちにとっては、この物語がどのように展開していくのかはわからないのですから。

しかしドラマの主役たちの想像を超えて、オーラソーマ・セラピーは拡大普及していきます。

やがてそれまでのバッキンガムシャーの家にある施設だけでは、拡大する需要を賄えなくなることがはっきりしていきます。

ヴィッキーさんたちは新たな飛躍に備えなければならない段階に達していたのです。

ヴィッキーさんの物語もついに最終段階を迎えます。

では、その飛躍がどのように起こったのかをヴィッキーさんに語っていただきましょう。


27 「デヴ・オーラ」

オーラソーマ・セラピーが広く知られるようになるにつれて、「バランス」ボトルの需要も飛躍的に伸び、さらに「ポマンダー」や「クイントエッセンス」の注文はそれを上回るようになりました。
顧客は全世界に及び、実際、海外での売り上げは、イギリスでの売り上げに取って代ってきています。
お金を稼ぐことが私たちの動機だったら、この「サクセスストーリー」はもっと大きくなっていたことでしょう。
繰り返し繰り返し、オーラソーマを普通の店でも買えるようにしたらどうか、店や代理店といった販売網をつくれば必ず売れるから、と声をかけられました。
けれども、オーラソーマが何のためのもので、どうやって使うのかも知らない人に商品だけを売るのは、やはり気が進まなかったのです。

それで私たちは、オーラソーマを店で扱おうと思う人は、その前に必ず私たちの講義を受けてもらうことに決めました。

私たちは今、通信販売もしていますし、無料のパンフレットも配っています。
けれどもやはり、商品を買う前には、資格を持ったオーラソーマ・セラピストのカウンセリングを受けることをお勧めします。
ただ「チャクラセット」だけは例外で、これは、それぞれの人のオーラの色にかかわらず、特定の症状に使えるものです。

1986年のはじめには、バッキンガムシャーの家だけでは将来の需要に応えられそうもないことがはっきりしてきました。
オーラソーマ・セラピストを養成したり、ボトルの製造や発送をしたりといった事務のスペースのある、ちゃんとしたセンターが必要になってきたのです。
のちにセンターとなった「デヴ・オーラ」を手に入れることになった経緯は、まったく普通ではない物語でした。

『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p285-286)



【顧客は全世界に及び、実際、海外での売り上げは、イギリスでの売り上げに取って代ってきています】

ヴィッキーさんの在世中から、もうそういう事態が起こっていたのですね。

pari 記

 

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