ヴィッキーさんが語りおろした『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』は、彼女自身の霊的能力に関してはとても抑制的な触れ方しかしてきませんでした。
https://artbeing.com/cd_book/aurasoma1/BKJ02.html
もちろん、オーラソーマといういわば“天から”(また“地球から”)託された製品を紹介するのが目的の本ですから、それをヴィッキーさんが誕生させるに至る不思議な物語を語らないわけにはいきません。
そうなると、彼女のオーラを見る能力などについても、まるで触れないということはできません。
そのような能力については、ヴィッキーさんの人生の物語に織り込まれてとても自然に語られてはいるのですが、彼女のそれ以上のスピリチュアルな信条とか世界観が語られることはあまりありませんでした。
ただ、本書の内容もメインカレントの叙述を終えて、書き漏らしたあれこれを落ち穂拾いのように集めているこの段階では、ヴィッキーさんもすっかり素のままの自分の世界観を前提にしてある意味でリラックスして話しているようです。
そのため本書も終りに近いここでは、ヴィッキーさんはこれまでの何回もの転生は当然のこととして前提して、その上で愛犬パッツィとの別れについて語っています。
とはいえ、この別れを語りおろしているヴィッキーさんと、その別れを経験したヴィッキーさんのあいだには地上時間として30年以上の歳月が流れているのですが。
では、愛犬パッツィとの別れの様子をヴィッキーさんの語りでご覧ください。
私はまた、動物の「オーラの飛翔」も見ました。
それは1957年のこと、私の忠実な友であったジャーマンシェパードのパッツィに、末期ガンの宣告が下ったのです。
パッツィは当時16歳、獣医は親切な人で、手を貸して楽に逝かせてあげましょうか、と声をかけてくれましたが、私は断りました。
彼女を愛し、また彼女が愛した人が最期を看取ることがいちばんでしょうし、それに私たちの間にある溢れるような愛のなかでは痛みもないでしょうから。
けれども、万が一の場合に備え、旅立ちを助ける用意も怠りませんでした。
今まで何度も一緒に座った長椅子の上で、私は彼女のやつれて肋骨の浮いた体を抱いていました。
大きなグレーの鼻づらが私の肩にもたれかかり、ヒゲがいつものようにちくちくと頬を刺しました。
私は両手で愛しいその顔を包んでやりましたが、そうするうちにも呼吸はどんどん浅くなり、いよいよその時が迫ってくると、私のハートにはざっくりと大きな傷口が開きました。
今まで何度も、何生にもわたってこうした別れを味わってきたのに、それでもやはり、毎回私のなかで小さな死が起こり、つらい思いはいつも同じなのです。
涙が音もなく彼女の顔に降りかかり、私の手へと流れ落ちました。
ああ愛しのパッツィ、ほんとうに、どんなにおまえを愛していることか。
彼女の美しい、今はもうゴールドのオーラが、旅立ちはじめました。
私はエーテル体を通してオーラが去るのを見、あらゆるものの周りに光を感じました。
それから彼女は光輝く雲となり、今まで何度もそうしたように、彼方へと通じる門に向かって歩いていったのです。
私も魂の姿で途中までそれに加わり、そして門のちょうど前で立ち止まりました。
そこから先には、パッツィしか入ることはできません。
私はそれから、彼女の友達が歓迎のあいさつを送るのをかすかに見、そして聞き、そして遥かな世界の見えざる色とその栄光をかいま見ました。
彼女はもう振り向きませんでした。
きっとそこで、今まで何度もそうしてきたように、私を待っていることでしょう。
彼女にとっては、私同様、人生は常に放棄の道であり、それゆえ私たちは否応なく、いつも旅の道連れとなるのです。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p278-279)
【私は両手で愛しいその顔を包んでやりましたが、そうするうちにも呼吸はどんどん浅くなり、いよいよその時が迫ってくると、私のハートにはざっくりと大きな傷口が開きました】
ヴィッキーさんはパッツィとの別れをそのように共有することを望んだのでしょうね。
pari 記