ヴィッキーさんのこのあたりの話は、本当に不思議て、昔の映画のフラッシュバックを見ているような感じもあります。
物語のなかに入ればそれはとてもリアリティのある緊張する場面でもあるのですが、絶対安全な場所から眺めている見物人の我々にとっては、まるで映画の一場面を覗き込んでいるような感じです。
家出してひとりで生活を始めた頃の挿話なのでしょうが、いったい毎日どんな思いで生きていたんでしょうね?
ここではヴィッキーさんは図らずも霊能者の内面を描いています。
自分が言っている言葉の理由を知らない。
しかし、本人に何の予備知識もないのに、自分が言うべき言葉が、突然の内面の画像となって現れたりしているわけです。
そしてヴィッキーさんはそういう知識が正しい目的のためにしか使えないことを、直感的によく知っていたようです。
もしかしたら、ヴィッキーさんの人生ほど劇的ではないとしても、誰の人生もこんなふうに全体の指揮棒の指示するままに操られている操り人形なのではないかと思われてきたりします。
ヴィッキーさんはこんなふうに、生涯の物語のために“教育”を受けていたのかもしれませんね。
私の一部は脅威を感じ、すぐにでも逃げ出そうとしていましたが、私は何とか必死で考えをまとめようとしました。
なにせその人は、私の顔を食い入るように見つめたままなのです。 けれども、ほとんど子供とも言える他人を相手に、さすがに唐突すぎたと思ったのでしょう、
それからこうつけ加えました。
「私の家はその通りの向こうなの。お茶とケーキでもいかが」
どうやら、悪魔の誘惑がケーキとお茶に姿を変えて現れるのが、私の人生のパターンのようです。
驚くような出来事の前には、かならずフルーツケーキが姿を現して、十代の食べざかりの私を抵抗できなくするのでした。
お茶は熱くて香りもすばらしく、ケーキも期待通りでした。
すっかりくつろいだ私が、そろそろ帰ろうかと腰を上げかけたとき、
「助けてちょうだい」と、出し抜けに彼女が言ったのです。
「あなたなら、きっとできるわ。
実は私はとても不幸で、とても困ってるの」
私は、がんと殴られたようなショックを受け、膝の力が抜けそうになりました。
けれども自分でも驚いたことに、思いがけない言葉が口をついて出てきたのです。
「それは、あなたが間違ったことをしているからです。
あなたは誰か若い人とつき合っていますね、誰か家族とつながりのある。
それは正しくありません。
そこからは、よいことは生まれません」
そう言いながらも、できることなら、言葉を呑み込んでしまいたいと思っていました。
いったい何が取りついたというのでしょう。
が、彼女は目をうるませ、
「その通りよ」と、答えました。
「私の息子のお友達なの。
彼はここに住んでるんだけど、息子はそれを嫌がって、家を出たがってるわ。
私は二人の間で引き裂かれてて、自分じゃどうすることもできないのよ」
「何もしなくても、それは壊れます」
それだけ言うと、私は椅子から立ち上がり、礼儀正しい足取りでドアへと向かいました。
しかし、内心はびくびくもの、冷汗ものだったのです。
と、そのとき、ドアがバアンと開き、そこに頑丈な大男が仁王立ちになっていました。
「彼よ」彼女はつぶやくように言いました。
「この人と少し話してもらえるかしら」
状況は驚くような勢いで展開し、私は思いもよらぬことに巻き込まれていました。
引き返したいと思っても、もうできません。
それはまるで、私の抵抗にもかかわらず、状況自体がまるで自身の意図を持っているかのよう、
正直なところ、私は恐ろしさのあまり、秘かに祈りを捧げ、自分の周りにエネルギーのバリアを張らずにはいられませんでした。
が、時すでに遅く、私は隣の部屋へと押しやられ、その男は背中でバタンとドアを閉めてしまったのです。
部屋には、その、はたちぐらいの若い男と私だけ。
そしてその男は私ににじり寄り、食い入るような視線を這わせているのです。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p31-33)
これが十六歳の少女だとすると、本当に恐ろしかったでしょうね。
でも、相手の男も、この家の主の女性も、みんなどこかおどおどしていて自信なげです。
そのなかでヴィッキーさんは、「あなたは間違ったことをしています」と言える若さと自信を持っていたんですね。
時代とか国によって、ずいぶんドラマの風合いも違うようですね。
pari 記
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