瞑想について その6
ダライ・ラマ瞑想入門―至福への道/春秋社 ¥2,625 Amazon.co.jp
“Path to Bliss
A Practical Guide to Stage of Meditation” というのが原題で、至福への道 瞑想状態に至る実習ガイドについての本です。
これはダライ・ラマ14世が1988年の春にダラムサラのお寺で行った説法がもとになっていて、「菩提道次第の安楽道」に基づきチベット語で話された法話です。
この説法は毎年行われているそうで、その説法をめあてに、インド各地から多くのチベット僧や在家の人々が集まり、チベット人に限らず、世界中から千人を超える人々がやって来てお話を聞くのだそうです。
菩提道次第というのは菩提(悟り)を得る方法を段階的に説いた教えで、チベット仏教のすべての教えを含む最も優れた教えとされています。
菩提道次第は11世紀にインドからチベットに招かれた偉大な学僧アティーシャの「菩提道灯論」にはじまり、この短いながら仏教の教えのすべてを含むこの論書を下敷きに、その後、多くのチベットの聖者が論書をものにし、とりわけツォンカパ大師の「菩提道次第公論」がアティーチャの流れを受け継ぎつつ、深い哲学的見解によって、仏教のあらゆる教えを矛盾なく詳細に解き明かした金字塔とされているそうです。
このダライラマの瞑想法入門は、そのツォンカパ大師の「菩提道次第公論」の神髄をわかりやすく解説した説法にもなっているようです。
非常に分析的、段階的に仏教の教えが説かれ、かつその瞑想の実践法まで説かれています。
昔なら口伝として、あるいは秘伝として説かれていたものが、このように一般に手に入るのはほんとうに恵まれた社会だといえます。 問題はそれを理解し、実践できるかどうかです。
アティーチャについては、OSHOが“Book of Wisdom”(智恵の書)でも詳しく語っている人で、ハート瞑想でも有名な人です。
The Book of Wisdom/Rajneesh Foundation Intl ¥738 Amazon.co.jp
アティーチャについてはOSHOの本で知り、とても馴染みの深い人でもあるので、そういう意味でもとても興味深い本です。
それはともかく、このダライラマの瞑想入門の本は、ひとつひとつの瞑想の段階を、とてもわかりやすい言葉で語ってくれています。
そのなかで、「有暇具足の瞑想の順序」というのがあります。
「人間として有暇具足を得た事実は何を意味するのか、本質からきちんと理解する」修行です。
ここでの修行とは、瞑想のことです。
有暇具足というのは、修行する時間をもった人間に生まれて、かつ悟りを得るための条件を持って生まれていることを言います。
人間として生まれた意味と幸運に思いを致し、そのことを十分本質から理解しなさい、ということなのです。
そして、この瞑想をする際には、以下の順序で、人間に生まれることが以下に難しく、稀であるかということを考察してください、ということです。
1.人間として生まれることがいかに稀であるか、あらゆる類推を用いて考える。 2.人間として生まれることを、本質的性質という観点で熟考する。 3.人間として生まれる原因がいかに稀か深く考える。
この瞑想をすることで、なぜ修行すべきかということを自分が納得する助けになるといいます。
それよりも、もっと端的に修行の必要性を思わせられるのは「実際に死を瞑想する」という方法です。
実際に死の瞑想をするときには「死は確実に訪れる」「いつ死ぬか予測がつかない」「死ぬとき助けになるのは法だけである」という三点を考察するといいます。
そこでは「無常の瞑想法」の詩が引用されています。
「朝は永遠に訪れると思い いかなる準備をしようとも すぐにもこの地を去らねばならぬときが来る 仕事、食事、飲みもの、何ごともないおえぬうち たったいま、この場所から、どうすることもできずに連れ去られるときが来る
力ないこの手が 衣服から、友の手から 引き離されるときが来る 今日をかぎりの最後の床に 老いて倒れる樹のごとく 横たわったまま動くこともできず
はじめておのれの死骸を目にするときが来る 身体はかたく岩のよう 最後の床につつまれて この服もきょうをかぎり 二度と着ることもない
誰とも話せず やりきれなさと苛立ちにつつまれる日がやってくる 渾身の力をふり絞っても 最後の言葉とくりごとが 渇いた口からわずかに漏れるのみ」
これをもって死と無常の章が終わっています。
ここで言っていることは、瞑想が死に立ち向かう助けになるということです。
尚 記
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