パワーか、フォースか 人間のレベルを測る科学

パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学/デヴィッド・R. ホーキンズ ¥2,940 Amazon.co.jp
本ももちろんひとつの情報の形であり、形である以上固有の姿をもっています。 現れの世界では、姿をもっているものはすべて変化を免れませんよね。 同じ情報が、別の読者にとってはそれぞれ別の意味をもち、また同じ読者にとってすらその意味は時間とともに変化します。 たぶん、著者当人とってさえ、その本の意味は変化を免れないのでしょうね。
この本を初めて読んだ時は、本当にこれは飛んでもない本だと思いました。 一通り読み終わった時点で、すでにこういう本が地上に姿を現したということ自体、ある意味でUFOが着陸して圧倒的な“宇宙的智慧”を地上の人類に伝えたのと同じようなものではないか、とさえ感じたものです。
ところが、時間を過ごしているうちにいつの間にか、読んだ当座は必ずやってみようと思っていた、キネシオロジーの実際を試みる熱意も失せているようなのでした。 熱しやすく冷めやすいわたしのような読者にとっては、変化はそんなふうに訪れたようです。 ところが、同じ本でも、ひとによっては随分違う扱いをするものだということを、あとで知る機会がありました。
その人は、本のカバーがすり切れるほど、二十回以上も読んだそうです……。 ……うーん。 ある意味で、わたしなどはまるで読んでなどいなかったわけですね。(^^;) 使われなかった情報の印象というものは、日を追うごとに薄れていくもののようです。 そして、改めて、読み直してみたものでした。 この本の「プロローグ」だけでも、何度も繰り返して読んでみようと、改めて思ったものでした。 ですが、そういう思いさえも、風化していくものなのですね。 「赤心もとどまらず、片々として往来す」(『正法眼蔵』:「現成公案」)です。 わたしが感動したのは、特にこの本の「プロローグ」でした。
その一部を、ちょっと立ち読みしてみましょうか。
——————————————————————– ある日、拘束衣を着せられたまったく無表情の患者が私の元へと運ばれてきました。 彼女にはひどい神経疾患があり、立つことさえできずにいました。痙攣(けいれん)で身悶えしながら目をむいて床に横たわっていました。 彼女の髪はもつれて、衣服のあちこちを引き裂いて、ただ喉音を発するだけでした。
彼女の家族はかなり裕福でしたので、世界中の有名な専門家を含む数知れない医師たちに何年もかかってきました。 彼女の状況は絶望的だと医者たちが匙を投げるまで、彼女にはあらゆる治療が試みられました。
「神よ、あなたは私に対して、彼女に何をせよというのですが?」
と、私は彼女を見て無言で尋ねました。 次の瞬間にはまさしく、「私が彼女を愛すること」のみに答えはあるとわかりました。 それがすべてだったのです。 彼女自身の内面が、彼女の目から輝き始めました。 そしてあの愛の本質につながったのです。 その瞬間に彼女は、自分は本当は誰なのかという、彼女自身の認識を得て、癒されたのです。 彼女の心、あるいは肉体に何が起きたかは、もはや彼女にとって重要ではありませんでした。
こういうことが多くの患者との間で幾度となく起きました。 ある人はみごとにその場で回復し、またある人はそうはいかなかったのですが、臨床上回復したか否かは、患者にとってはもはや重要ではありませんでした。 患者たちの内なる苦悩は終わっていたからです。 まるで彼らが愛を感じ、内なる平和を感じているかのように、彼らの苦しみはやみました。
この現象については、その「存在」の慈愛が、各々の患者自身の現実を再び取り戻させたとしか説明できません。 現実の有様をまったく超越してしまうほどの癒しを彼らが経験したというよりほかはありません。 その中に存在している内なる平和は、時間とアイデンティティを超越して、私たちを共に包むものでした。
私は、「すべての痛みと苦しみは神から生じるのではなく、唯一、自我から生じる」ということを知りました。 これは真実であり、沈黙の中で私が患者の心に告げたことです。 無言で表情を失っている別の患者に、私が唯一、自我から生じる痛みと苦しみであるこの精神的なブロックを直感したとき、私は心を通して
「あなたの自我があなたにしたことを、あなたは神のせいにしています」
と、その人に告げました。 するとその患者は驚いて床を跳びあがったあとに話し始めたのです。 これを実際に目撃した看護婦の衝撃は大きいものでした。 (P38-39)
    『パワーか、フォースか』 ——————————————————————–
うーむ……。
「すべての痛みと苦しみは神から生じるのではなく、唯一、自我から生じる」……。
そして……、
「あなたの自我があなたにしたことを、あなたは神のせいにしています」……。
苦しみというものは……そういうものなんでしょうねぇ。(-_-;)
pari 記
     
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