『フラワー・オブ・ライフ』

『フラワー・オブ・ライフ』
ドランヴァロ・メルキゼデク著 ナチュラルスピリット

フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密〈第1巻〉/ドランヴァロ メルキゼデク

¥3,570
Amazon.co.jp

「生命の木」(ツリー・オブ・ライフ)があるなら、「生命の花」(フラワー・オブ・ライフ)があるし、「生命の種」(シード・オブ・ライフ)もある。

もし木があるなら、花もあり種もあるはずだ。

そう言われてみれば、「あ、そうか」って思ってしまいました。

この説によると、「生命の木」はユダヤ人またはヘブライ人がその起源であるわけではなく、「カバラが生命の木を創造したのでもないし、それについての証拠もある」のだそうです。

「それはすべての種族や宗教を越えたところから来ました」ということらしいのですね。(フラワー・オブ・ライフ  ドランヴァロ・メルキゼデク著 ナチュラルスピリット出版)

まぁ、どちらかといえば、オーラソーマでは「生命の木」についてもそういう立場で考えていると言えます。

オーラソーマはユダヤ教の教義の一部ではなく、それを越えた普遍性を持っていますから、オーラソーマではその普遍的な立場から生命の木を考えています。

それは人生の、あるいは人間理解の見取り図としてなかなか面白いマインドマップです。

「フラワー・オブ・ライフ」に現在の情報社会について、なるほどと思わせる記述がありました。

その記述というのは、この時代のスピードと「知識のなだれ」現象についてです。(フラワー・オブ・ライフ P89-90)

その記述によると、私たちが最古の人類として知っている古代のシュメール文明(およそ紀元前3800年)から1900年頃までの約5800年かけて人類が集積した一定の情報量は、1900年から1950年の50年間で2倍になり(つまり5800年かけて学んだ一定量の知識が50年で倍増した)、1970年から1980年の10年でそのまた倍になり、その後は2-3年ごとに倍増しているというのです。

実際、コンピューターが出現した初期にビル一個分のコンピューターの性能が、今ではラップトップパソコンで、それ以上の性能が手に入りますし、現在NASAやペンタゴンで使われている強力で早いコンピューターでも、近い将来家庭用コンピューターが凌駕するだろうと言われています。

そこで何が起こっているかというと、何千年もの間、スピリチュアルな情報は秘密裏に保たれ、僧や尼僧たちは、それらの情報が決して外部に漏れることがないよう、命がけで秘密を守ってきたのが、ある時を境に開示されはじめたのです。

世界中のあらゆるスピリチュアルな集団や宗教は、みんな自分たちだけの秘密の情報を持っていたのが、1960年代半ばになって、突然それらの秘密のベールが剥ぎ取られ、ほとんど世界中のすべてのスピリチュアルな集団が、歴史上の同じ瞬間にその古い記録をいっせいに開示したというのです。

そのことを最もラディカルな方法で、徹底して行ったのがOSHOというインドの神秘家です。

彼は古今東西の主な宗教について、それらのエッセンスを明らかにするとともに、秘教とされていた教えや瞑想技法などについて、現在人にも使える方法でオープンにしていきました。

そして今やそれらは近所の本屋さんの棚で、何千年も封印され、秘密裏に守られてきた情報が、いとも簡単に手に入り、知ることができるのです。

今では本屋にさえ行く必要がなく、インターネットですべて手にはいると言ってもいいぐらいですね。

実際、アメリカの本屋ではいろんなレイキのシンボルが掲載されている本が出版されているのを見たことがありますし、インターネットにも表示されてあります。

このような時代においては、秘密や口伝といっても、それらはもうオープンシークレットのようです。

でもそのように開示されても、実際にはそれだけのバックグラウンドがないと理解できませんし、使いこなせないでしょうね。

しかし、そもそもレイキなどのヒーリング能力はもともと人間に備わっているものであり、お母さんが子どもが怪我したり、具合が悪いときに自然にやっていることでもありますしね。

レイキのシンボルや儀式といっても、本来自分の中にあるものを自覚するためのものでしょう。

それはちょうど、どうして卒業式があるのかというようなものではないでしょうか。
そういう儀式がなくてもすでに学校で習ったことを修得していることに変わりがないのに、わざわざそういう儀式をするのは、その自覚を得るためでしょうから。

それはオーラソーマの考え方にも関連があり、オーラソーマにも同じことがいえるかと思います。

オーラソーマで学ぶことの内容は、本来各人が魂のレベルで理解していることであり、ただそれを意識化していくプロセスです。

レイキにしろ、オーラソーマにしろ、また生命の木にしろ、カバラにしろタロットにしろ、それらはすでに自分の中にあるものを自覚していくもの、ないしその自覚のプロセスを促し、助けるものなのだと思います。

生命の木は宇宙のなかで働いている原理を客観的に表した図であるとともに、小宇宙の人間とその人生の見取り図のようなものであり、それを通して自分自身の理解を深める道具といえるでしょう。

尚 記
☆ランキングに参加しました!! クリックお願いします↓
 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ にほんブログ村 デザインブログ 色彩・カラーへ