エーテルギャップについて
「マイク質疑応答」から マイク・ブース
たとえば、風邪を引くとか、ちょっと火傷をしたとか、何か身体に異常があったとき、私たちは自分が身体であることを疑いません。
手許が狂って熱湯がかかり「あちっ (>_<)」という瞬間に、熱いのが自分であることに疑いなどないからです。
でも、じゃ、この身体がその熱さを感じているのかとなると、じつはちょっと怪しくなります(^^;)
たとえば、ぐっすり眠っていれば、少し熱いくらいでは目が覚めないかもしれませんし、また極端な想像をすれば、火事で焼死した人は、死んだあとはもう熱さなどは感じていないかもしれないからです。
というより、死体はもう痛みなど感じていそうもないですよね(^^;)
もしそうなら、その熱さを体験していたのは身体ではないということになります。
それはその身体を乗り物にしていた誰かかもしれませんし、あるいはその身体を生かしていた何者かなのかもしれません。
どうも体験しているのは身体自体ではなくて、その身体を使っていた何かなのかもしれないと思えます。
たとえば、電車が動くという場合、動きの原因は電車の車両自体にはなくて、駆動機関に走っている電気現象であるようなものかもしれません。
肉体の場合は、よく「魂」というような言葉で言及される実体がそれでしょうね。
電車なら車両に当たる目に見える人間の肉体のことを、その意味では「粗大身」と呼ぶことがあるようです。
それに対して、その肉体を乗りこなすエネルギー体のことを「微細身」と呼ぶようです。
これは普通、人間の目には見えないわけですが、人によっては、また状況によっては、これが見えることがあるらしいのです。
ヴィッキーさんやマイク・ブース氏は、この「魂」ともいうべきエネルギー体を見た経験をお持ちのようです。
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質問 エーテル体の裂け目(エーテルギャップ)について説明して下さい。
マイク
私自身の経験をお話しますと、私は11才の時、左足をバスに轢かれました。
そのときの私には感覚がありましたが、部分的に昏睡状態に陥り、話したりコミュニケーションをとったりすることはできませんでした。
しかし、まわりで起こっていることすべてを見たり聞いたりすることができました。
私は肉体のすぐ近くにいましたが、肉体の中にはいませんでした。
病院に担ぎこまれ病室に寝かされました。
空きベットのあった唯一の部屋は、老人病室でした。
私はまだ半ば昏睡状態にあり、肉体の近くに漂った変性意識状態のなかで、外界とコミュニケーションが取れませんでした。
そのとき私が経験したことなのですが、真夜中、私の向かいのベットに寝ている老人のベットの上でバスケットボール程のボールが跳ねているのです。
何度か跳ねたあとベットから床に落ち、病室の隅まで行ったかと思うと、ふたたび彼のベットまで戻って来たのです。
それから一瞬、彼の身体の左側ヘと消えたと思ったとたんに、ふたたび彼の頭部のあたりに現れ、今度は窓の外へと消えてしまいました。
後に私はそれが人の死を意味するということだと知りました。
これは私にとって、誰かが死ぬのを目撃した初めての経験でした。
ヴィッキーも大戦中救急車を運転していたとき、トラウマ的な出来事のなかで、人が死ぬ現場に立ち会い、同様の経験をしています。
彼女がロンドンの爆撃現場に急行すると、最後の息をしている人がいました。
トラウマ的な死においては生命エネルギー(意識もしくは魂)は、口腔からではなく身体の左半身から抜けていくのです。
これは彼女の体験でした。
このような体験から私たちは、骨盤と第一肋骨の間のこの部分をエーテルギャップと呼ぶようになったのです。
『リビング・エナジー』Vol.2(p81-82)
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人間の通常の死の場合は、生命エネルギーは身体の頭部からゆっくりと抜け出ていくそうですが、突然の事故死などの場合、このようなことが起こるのでしょうか。
目に見える現象世界を成り立たせている仕組みの背後には、いろいろな構造が背景にあるのでしょうね。
pari 記