ユダヤの秘義 カバラの象徴学
¥2,039
Amazon.co.jp
この本によると、近代のカバラ運動では、カバラとは「バランス」をとる術であり、わたしたちが物質文明の重みに押しつぶされないためには、その力に匹敵する、もしくはそれを上まわる精神文化を築くほかはないと考えているようです。
また、カバラとは自己の探求法であり、その「自己」に達することが実現すべき目標であり、カバラによって自己を自覚することで、究極的にはその「自己」を越えるものから教えを受け取るということなのだそうです。
「自己を越える存在」というのは、仏教では「仏性」、道教では「道」と名付けられ、それが人間の「かたち」で象徴化されるとき、如来、救世主、神々、天使などの姿で現れ、このような存在は肉眼でとらえうるものではない、とされています。
素直に「自己」という鏡を磨き、その曇りを祓い浄めたものだけが、それら霊的存在と直接交わることができるというのです。
そしてその「自己」に達するため、生命の木を利用した次のような儀式、瞑想があります。(Tree of Life, Introduction to the Cabala, Rider)
1 静かな場所を探し、背筋をまっすぐたてて、ゆったりとすわる。これが「マルクト」。
2 膝の上に手を置き、目を閉じる。これが「ホド」。
3 脈拍と息を感じとる。これが「ネッツァ」。
4 心の眼にイメージが休みなく移り変わっていく様をみつめる。これが「イエソド」。
5 意識を外の光景や内的ビジョン、または内的感覚から、それらすべてが起こっているものを見つめている意識そのものへと集中する。これが「ティファレット」。
「君が静かな、釣り合いのとれた状態に達し、魂が霊の方向に向きを変えたとき、君は君自身とひとつになることができる。そのとき、初めて君は受け取る資格ができるのである。
幸運に恵まれ、よき師を得られたとしても、その「受け取る資格」がなければ、何も教えてもらえないだろう。たとえ教えられたとしても、その重要性に気づかず、血肉化する前に聞き流してしまうだろう。」
「自己」に達することは、何をさしおいても実現すべき目標なのである。
尚 記
☆ランキングに参加しました!! クリックお願いします↓