オランダからヴィッキーさんを訪れてきた訪問者は、どうやら感動的な治癒の体験を語りに来たというわけではなさそうです。
お互いに面識がなく、あたかも初対面のような感じなのですが、それでも訪問者はヴィッキーさんに頼み事があって、はるばるオランダから訪ねてきたようなのです。
ところがその願いを聞いたヴィッキーさんは、今の時代の私たちからすると、ちょっと意外とも思えるような反応を示します。
そこには、ヴィッキーさんが診療所を営んでいた時代の社会常識そのものが反映されているのでしょう。
たぶん、このことが起こったのは1967年ごろのことですから、いまからわずか半世紀の昔にすぎないとも言えます。
時代の通念というものは、それほどにも短い期間で変化していくものなのですね。
では、そのオランダからの訪問者の願いと、それを聞いたヴィッキーさんの反応をご覧ください。
なんだろう、と興味をそそられたものの、とりあえず、お昼まで待ってもらうよう伝えてもらうと、どうやらその人は気軽にOKしたようでした。
それから、診察が終わったのは、ゆうに一時を回ったころで、私は気の進まないまま、その訪問者を招き入れました。
というのも、私はお昼の必要を強く感じていたわけで、要するに早い話、お腹がぺこぺこだったのです。
その人は、診察室に入ってくると、私の顔をじっと見つめました。
「さあ、どんなご用かしら」まず、私が声をかけると、
「あなたが、ウォール先生ですか」
私がうなずくと、
「私はあなたに三年前、背中を治してもらったものです。
あれからすっかり痛みがなくなって。
今、事故にあうまで」
彼女の英語は上手ではなかったけれど、言おうとしていることは明らかでした。
「お願いです、また背中に手を置いてください。
それだけ、お願いします」
ああ、なんてことに首を突っ込んでしまったんでしょう!
私の職業意識は全力で抵抗していました。
「ちょっとあなた、頼まれてそうするのは、まったく倫理に反することなのよ。
もしそんなことをしたら、人に知れ渡って、私はニセ医者の刻印を押される危険に身をさらすことになるのよ」
彼女は懸命に涙をこらえて私を見ています。
「どうかお願いです」彼女も必死です。
「誰にも言わないって、約束しますから」
当時49歳で、治療師としてのキャリアのほとんど絶頂期にあった私は、いつ果てるともない病人の列が入り口からずっとずっと伸びていって、道路を下り、遥か彼方の町まで続いているのが目に見えるようでした。
全身は冷汗でじっとり、今の言葉や何やらで、耳はがんがんしています。
私はそれまでに、頼まれてヒーリングをしたことは一度もありませんでした。
けれども私のハートは、ノーと言うのを嫌がっているのです。
苦境に立った私がそっと祈りを捧げると、突然、目の前に光が見え、ゴールドとバイオレットの流れが彼女を包み込むのが分かりました。
そして私が彼女の背中に手を置くと、例のしびれがはじまったのです。
謝礼を断り、彼女の後ろ姿を見送ったあと、私はくじけそうな心を立て直すのに必死でした。
それでも少なくとも、あれは純粋に同情からしたことで、自分がいい気になろうとしてやったことではない、とはっきり分かっているのは慰めでした。
とはいえ、人間の性を思うと、それからの数日間地方新聞を開くのもびくびくもので、自分のしたことが活字になっていないかと、不安でたまりません。
私は秘かに、もう二度とこんな危ない橋は渡るまいとかたく誓いました。
それにしても、永遠の光の癒しの通路になったというだけのことで、これほどびくびくしなくてはならなかった当時の風潮を、私は本当に悲しく思います。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p253-255)
【謝礼を断り、彼女の後ろ姿を見送ったあと、私はくじけそうな心を立て直すのに必死でした】
患者さんに実際に治癒が起こるのなら、そのプロセスの科学的機序がまだ明確に解明されていないからと言って、何を恐れる必要があるのだろう?(?_?)
という感想が自然に湧いてくるのは、きっと私たちが生きている今という時代の雰囲気を反映しているのでしょうね。
それとも日本人の通念は少しゆるめなのでしょうか。(*^_^*)
pari 記