もう一度ハートを通して楽園に戻ることは今この瞬間の私たちの選択からはじまる

この世界は本当に不思議なところですね。

先のことなどけっしてわからないのですが、かといって世界がこちらの思いに対応しないのかというと、これまたけっしてそんなことはなく、何やら思いが作っていく世界でもあるようですし。(^^;)

スピリチュアルな世界では【問の答えはその問のエネルギーなかにある】というような言い方があるようです。

つまり人生がどのようなものとして展開するかは、その人が担った欲望とか願いとか疑問のエネルギーのなかに種があるということなのでしょう。

それぞれの人が繰り広げることになる人生というのは、その人が願っていたこと、その人が知りたかったテーマを中心に展開して、しかも当人が予想もしなかった新たな局面を見せるというようなことなのかもしれません。

予想もしないことが起こったということは、そこに何らかの予想とか前提とか期待とかいうものがあったのでしょう。

すると人生の展開すべてが、それらの予想や前提や期待を超えたところから起こってしまったということが明らかになるのでしょうね。

その展開がいかにも不可解で不条理に思えたり、悔しかったりすれば、そのような思いはまた新たな肉体を求めることになるのかもしれませんね。

そうやって現象世界を起動する欲望のエネルギーは永遠に供給されつづけるのかもしれません。

するとそういう世界のなかで、いつかこんな疑問が立ち上がってくることになるのかもしれません。

いったい、この世界は誰に起こっているのか、と。

そしてその疑問が氷解したところからは、もう新たな欲望も願いも、そもそも思考自体が起こらないのかもしれませんね。

オーラソーマアカデミー学長マイク・ブース氏のセミナーで、専属の日本語通訳を務めてこられた黒田コマラさんは、十代の頃から内なる世界に興味を持たれていたそうです。

ではコマラさんの記事「オーラソーマシンセシスと『ハート』」から、そのあたりに触れている部分をご紹介しましょう。


 

私は10 代後半から、内なる世界に興味を持って探究を続けてきました。

そのころから「真実」を知りたいという欲求は、時には外側の世界との分離感を私にもたらしたこともありました。
内面の世界こそが真実をもたらすものと考え、外側の世界をどこか否定していました。
そんなときにオーラソーマシステムとの出会いを通して、その分離は自分のなかにあることに、はっきりと気づきました。

小さな子どものころに体験した分離のない世界は、シンプルで喜びに満ちており、まさにありのままの自分であることを通しての体験でした。

日本で話題になっている「アナと雪の女王」を、この原稿を書いている機内で見ました。



この物語も大きな観点から見ると、生きることのなかにある分離感を越えてい
く物語のようにも思えます。

恐れは人に分離をもたらし、愛はつながりをもたらします。

『Frozen(原題)』という、恐れで凍ってしまった意識を溶かすものは、温かさと愛。
これは、ヴィッキーが述べた「愛と恐怖は同じスペースに共存できない」ということにもつながっています。

レベル3 の生命の樹を紹介するときに紹介されるストーリーが、ふと頭に浮かびます。

神のイメージを映して創造された「2 本足の生き物に奉仕をすること」を拒んだ天使ルシファーは天国から追放され、姿を蛇と化し、サタンとなって楽園のリンゴの木に落ちてきます。



アダムとイブは、そのリンゴの実を食べて、楽園から追放となります。

楽園とはどんな分離もない、すべてのものが調和と美のなかにあるガーデンです。

大天使ヨフィエルが追放を伝達しにきたという文献が残っているそうです。

「B101 のペールブルー/ペールオリーブグリーン」

「B03 ハートボトル」に光が入ったボトルのようです。

楽園の出口、入口はハートであることを、その色が示しているのかもしれません。

光の王であるルシファーがもう一度、神の右座に戻ることは、クンダリー二(蛇のシンボル)のエネルギーが背骨の基底部から上昇することであり、それは自分のギフトを世界に奉仕することです。

そして、アダム(ヘブライ語で人間という意味)を祖先とする人間が、もう一度楽園に戻るには、私たちがハートに、愛につながることだといえるのではないでしょうか。

分離のなかを生きることは、ジャングルを生きることであり、そこには競争と闘い、飢えがあります。

私たちがもう一度、ハートを通して楽園に戻るには、今この瞬間の私たちの選択からはじまるのかもしれません。

「愛を選択するのか? 恐怖を選択するのか?」

『リビング・エナジー』Vol.9(p15)


 

【神のイメージを映して創造された「2 本足の生き物に奉仕をすること」を拒んだ天使ルシファーは天国から追放され、姿を蛇と化し、サタンとなって楽園のリンゴの木に落ちてきます】

【光の王であるルシファーがもう一度、神の右座に戻ることは、クンダリー二(蛇のシンボル)のエネルギーが背骨の基底部から上昇することであり、それは自分のギフトを世界に奉仕することです】

そんな連想系がキリスト教の文化圏にはあったんですね。

コマラさんのオーラソーマレベル1やレベル2を受けられるチャンスが近づいているようです。
https://aura-soma.jp/

pari 記

 

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