花や果実や葉から抽出された色
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』より
ヴィッキー・ウォール
自然の美しさのなかには、いろいろな種類がありますよね。
荘厳な山の気高い美しさもあれば、穏やかでのんびりした南の島の美しさもあります。
そういった望遠レンズの対象となるような大きな風景の美しさもあれば、一方には接眼レンズの対象となる庭の花々のような小さな世界の美しさもあります。
特に昔から家事を担ってきた女性は、こういう身辺にある小さな世界の美しさに敏感です。
このごろは昔ながらの日本の庭だけでなく、西洋風のガーデニングがとても流行ってきているようです。
どんなタイプの庭であれ、そこに植物があれば、たいていは色とりどりの草花や花木が含まれているものです。
そして草や葉の色は押しなべて狭い緑色のヴァリエーションに含まれるのに、花だけはまるでその植物を代表する【顔】とでもいうように、それぞれまったく独自の色合いを競っているものです。
植物のエッセンスとは、まさに妍を競うその花の優美さのなかに、その植物の精髄が表現されているからなのでしょう。
あの美しい花々は、まさにその植物の成長の精華、その植物の成長を最後まで支えて成就させてくれた全体に対する感謝の表現であり捧げ物なのでしょうね。
なぜなら、あの美しい花々の色こそは、まさにその植物固有の他に代えがたい独自性を表現していると思われるからです。
そして、その花から生まれる果実は、新たな子孫を残そうとするその植物の準備なのでしょうね。
こういうことは誰がやっているのでもなくただ自然に起こっているのでしょうか。
そういう理解のほうが馴染みやすい人もいれば、いやそれはすべて神様がやっているのだという理解のほうが親しみやすい人もいるのだと思います。
そこに個々の生命が競い合っているのだという理解のほうが納得がいくタイプの人もいれば、それはなんの理由もなく、ただそうなっているという理解のほうが納得しやすい人もいるのでしょう。
理解もまた全体の表現のひとつの姿なのでしょうから。
ヴィッキーさんは、そこに神の表現を見て、すべてが光を求めて高め合っている姿を見ることがしっくりくるタイプの方なのだと思います。
そんなふうに花のエッセンスを観察し蒐集することのなかで、ヴィッキーさんは「植物の色が人間のチャクラの色と深い関係を持つことを知るに至った」のだそうです。
では、ヴィッキーさん自身の言葉で、その世界を紹介していただきましょう。
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花たちも、私たちのように光を求め、高みに至ろうとしているのではないでしょうか。
彼らの存在のちょうど中心にもまた、神の呼び声が響いてはいないでしょうか。
彼らは喜んで自分の命を投げ出し、人生における三つの大事な節目、誕生と死と結婚を、愛で彩ってくれるのではないでしょうか。
彼らもまた私たちのように与える存在であり、ヒーリングや愛がこの世を治めるよう、彩りがこの世界にもたらされるよう、奮闘しているのです。
花の魂は、与えることにかけて右に出るものはなく、求めるものを得るという点で、霊的な法則にしたがっているのです。
以前には父がしていたこととはいえ、私が花たちに永遠の命を与え始めたのは、愛する花やハーブに囲まれているとき、徐々にはじまったことでした。
自分を他の存在の幸福やヒーリングに捧げることで、彼らは本当に愛の捧げ物となるのであり、地上でまず美しく花開き、それから永遠の生命を得るというのは、彼らに与えられた権利なのです。
愛の祭壇に身を捧げたその花が、いつの日にかその犠牲を捧げられた魂の一部となるということも、あり得ないことではないでしょう。
さらにいえば、花はみずからの命を与えることによって、神の一部となるのではないでしょうか。
花のエッセンスをつくっているとき、私は、花の色がエッセンスの色に移ることもあれば、そうでないこともあるのに気づきました。
花や果実や葉から抽出された色は、チャクラやそれに関連する部位と、密接な関係があるのです。
例えば、ラベンダーは頭のチャクラ、ゴールデン・カレンデュラは皮膚、神経系統、胃という具合に。
私は、植物の色が人間のチャクラの色と深い関係を持つことを知るに至ったのです。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p233-234)
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【花のエッセンスをつくっているとき、私は、花の色がエッセンスの色に移ることもあれば、そうでないこともあるのに気づきました】
こういう知見は実際に花のエッセンス蒐集して観察した人だけが発見するのでしょう。
そういうことがあるんですねぇ。
pari 記