「新鮮な鮭って何。冗談でしょ!」

「新鮮な鮭って何。冗談でしょ!」
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』:「5 薬屋」から                         ヴィッキー・ウォール
        家出少女のヴィッキーさんを優しく受け入れ、彼女に大いなる安息を与えてくれた恩人エドワード・ホースレー氏がとうとう旅立つ時がきたようです。
この薬局ではたくさんのハーブを壁に吊し、昔ながらの方法で錠剤を作り、薬を調合していたようです。
それはヴィッキーさんにとっては、まるで心ゆくまでお父さんからの教えを復習するような感じだったそうです。
ヴィッキーさんが生きた時代はいまから一世紀近くも前のイギリスの世界ですが、ホースレー氏が生きた時代はさらにまたその半世紀も前の世界です。
日本で言うなら明治維新のころの話ですね。
まさにイギリスの時代劇の世界とも言えます。
人が亡くなるときは、残された人たちにとってはその遺品を整理して、故人を偲ぶ機会でもあります。
若かりしホースレー氏が薬剤師になろうと丁稚奉公をしたころ、雇い主との間に契約書のようなものを交わす習わしがあったようです。
ヴィッキーさんはそれを読んで大笑いしたようですが、そこにホースレー氏の青春が刻み込まれていたのでしょう。
        ——————————————————————– そして残念ながらエドワード・ホースレーが遠くへと旅立つ日がやってきました。 私は彼を胸に抱き、いまわの際までともに行きました。 彼は安らかに、そして威厳をもって去っていきました。 後に残されたドリスと私が、それはそれは寂しく感じたのは言うまでもないでしょう。
それから、彼の遺品を整理するという大仕事のため、あらゆる書類や所持品がていねいに集められました。 書類までもが、彼の魔法、彼のメッセージを運んでいるかのようで、彼のベッドの脇に腰を下ろし、私はもう一度年季奉公の契約書に目を通しました。 それは、はるか昔、一八七〇年の終わり頃のもので、お金持ちの子息でもない限り、二百ポンドもの徒弟料を払うことなどできなかった時代の話です。 当時においては本当に大金で、今で言えば、それは少なく見積もっても二千か三千ポンドはする金額です。 ホースレーは数年前、自分でその書類を見せてくれたのですが、その当時若かった私には、その言い回しがいかにもおかしく、それを見たとたん、笑いころげていました。 調剤室に私の笑い声が高々と響いたのは、それが始めてで、それはたぶん、こんな風な表現だったと思います。
「私、エドワード・スモールブルック・ホースレーは、ここに、たびたびいかがわしいバーに出入りせぬことに合意する」
ここでもう、私は笑いの発作に襲われていました。 古めかしい言葉遣いもさることながら、私は愛しのホースレーがその手の場所に出入りする様子が、どうしても想像できなかったからです。
「甲である私(彼の親方である薬剤師のことらしい)は、前述のエドワード・スモールブルック・ホースレーに対し、週一度以上新鮮な鮭を食べさせぬことを誓約する」
正直なところ、これを初めて読んだときは、
「新鮮な鮭って何。冗談でしょ!」
とうならざるを得ませんでした。 今もそうですが、当時の私にとって、鮭は本当にごちそうでしたから。 謎を解いてくれたのは、ホースレーのお客の一人でした。
「いいかい、お嬢さん、その頃はね、何人かの弟子が親方と一緒に暮らしてたんだ。 それで何年もビン洗いとかの退屈な仕事をさせられるわけだがね。 最初の二百ポンドは確かに大金だが、薬剤師のおかみさんだって、それで何年もやっていかなくっちゃならない。 食べ盛りの若いやつらを七人も八人も抱えて考えることは、いかに食費を削るかってことだ。 いいかい、ここは、ウェールズのど真ん中なんだよ。 肉は高い、となると、おかみさんの頼みの綱は、地元の密漁者ってことになる。 やつらは、馬鹿でかい鮭を、ビール何杯かの金で喜んで売り渡してたんだ」
供給は無限にあり、かわいそうな徒弟たちは、ほとんど毎日というほど採れたての鮭を食べさせられたのでしょう。 ついに彼らも鮭の洪水に悲鳴をあげ、事態は緊張をはらみ、ついに先に述べた契約書の条項の登場となったわけです。
      『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p42-43)
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なるほどなぁ。(*^_^*)
なにか、セピア色の人生ドラマが開けてくる感じですね。
そこでホースレー氏はどんなふうにハーブの世界を学んだのでしょうね。
pari 記
       
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