「胎児の心を無視したらいけない!」

「胎児の心を無視したらいけない!」

       「オーラソーマと出産」より  古賀直子

       

助産師古賀直子さんのお話は今回が最後です。

こういう内面で胎児と直感的会話を続けてきた方の表現というのは、ちょっとそのままはついていけないようなところがありますね。(*^_^*)

でも、なぜか古賀さんのお話を聞くと、そういう直感的な了解が起こっているんだろうな、と思わざるをえないようなところもあります。

古賀さんたちの側の働きかけと、それに対する赤ちゃんの応答が、とても無関係とも思えないからです。

たしかに、言葉を介さない生き物との応答という面では、たとえば、犬や猫の気持ちがよくわかる方とか、ほとんどまったく興味を示さない方とか、いろいろいますよね。

だいたい生き物にあまり興味がない方に、相手との直感的なコミュニケーションが起こるはずもないでしょうし。

たとえば、親しい親族が何人も集まったような状況でも、そのなかで大人にしか関心が向かない方もいれば、すぐに子どもの顔を見て子どもたちとの自然なコミュニケーションが起こるようなタイプの方もいるものです。

そうかと思えば、人間の方にはまったく関心が向かず、すぐにその場にあるゲーム機とかオーディオ製品とか、そういった機械的なものに関心が向かう人もいます。

そして、それぞれの人たちにとっては、自分の関心が向かう世界しかある意味では存在していなくて、そこでの体験しか記憶にも残らないわけですね。

それぞれの個人にとっては、別の人の関心分野は興味が無いので問題にもしないわけですが、もし自分がこれまで関心のなかった方向に興味が向かったら、そちらにもともと関心が向かっていたタイプの人たちの能力は、超能力とも言えるはずです。

そういう意味では、古賀さんのような方の新生児との対話能力は、普通の人間にとっては一種の超能力のようなものなのかもしれませんね。

では「オーラソーマと出産」から、古賀さんと赤ちゃんの応答の最後の部分をご紹介しましょう。

       

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文珠:早期リバーシングというか、胎児の状態に戻ってるんでしょうね・・・

古賀:ニコニコしてて、そうして今度は、笑うと横隔膜が動くけど、この動きで、へっへっへってやりだしたんです。
もちろんシャックリじゃなくってね。


お母さんと一緒に見てて、「何だろう、笑ってる、呼吸が笑ってるみたいだなぁ」って言ってるうちに、その子はリラックスして、小さくコンパクトになって、タライの半分くらいのサイズになって・・・この間、藤本さんがライアでずっと3曲弾いてくださってたんですが。

この子はお腹のなかで「僕は男になってしまったぞ。それに大きくなってしまったし、小さくないよなぁ」と思ってたかもしれないけれど、そのことも「あぁ、でもよかったんだ」とほんとうの意味で思えたような気がすごくして・・・


こうしたメンタルな傷も、早い時期なら速やかに癒せるんじゃないかと。


病院とかで吸引されたり、自分の意じゃない生まれ方をしたり、そういうバース・トラウマを受けた子どもをね、沐浴という段階で癒していけそうだという・・・新生児のリバーシングというのはとても簡単なんじゃないかしら


大人だったらいろんなワークをたくさんやらないといけないし、それこそ大人は空想だらけだから、思いだしたものが事実なのかイマジネーションなのかわからなくなっちゃうけど、ところが、こうして新生児のからだが上手にやってくれたのを見て「あっ、これはそういう子どもたちのサポートをもっとしてあげられる可能性があるな」って。

どの子どもも、なにかしら訴えを出してくるから、できればそれをキャッチする。
自分が研ぎ澄まされてくれば、もちろんいいですけれど、オーラソーマを使ってそこのところをなるべく胎児の希望に添えるようなかたちでとか・・・


“妊婦さんのその人らしいお産”って助産婦はよく言うんです。
“産むお母さんとか、家族の意向に添いましょう”という感じなんですけれども、もう一歩踏み込んで「胎児の心を無視したらいけない!」っていうね。
その子たちが意志をもっていることはたぶん確実だし、そこを無視してやるというのはね。
まわりが無視したって胎児の思い通りになるってこともあるけど、でもそうじゃないことがあったときには・・・

文珠:なにがあっても自分を貫ける強い意識をもって生まれてくるのは、ごく少数で、多くはやはりある種のサポートがあれば、もっと自分を生きられたのに、トラウマが大きすぎて挫折してしまうといったケースもあるでしょうからね・・・

古賀:だから今はどんどん年齢が下がってきて、幼児期の心のケアに関心が向かうようになってきてるでしょう。
それこそ、私が中学時代に思っていた「少年非行は学校じゃなくって家だ。家のなかでも幼い時のケアだ」という発想に近づいてきています。
どんどん下がってきているけれど、もう一歩下がると、新生児の心のケアというか、胎児の心のケアというか・・・ケアというとなんですが、その子たちの意志を尊重するというか、そこまでほんとうに早くいければいいなって思いますね。

       
『リビング・エナジー』Vol.5(p94-95)
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なるほど、生まれたばかりの段階で、リバーシングでトラウマを解消したようなものとも考えられるわけですねぇ。

それはたしかに、傷が小さいだけに、簡単にヒーリングができるわけですね。

【幼児期の心のケアに関心が向かうようになってきてる】・・・。

進化というのか退化というのか・・・、なんとも一概には言えないような気もしてきます。

pari 記

 

 



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