どうしてヌメロロジーのワークを
マンガラのインタビューからお伝えしていますが、今回の部分は理論的な解説ではなくて、ごくごくゴシップ的興味とも言える部分です。(^_-)
ところで、これもまた人生の重要な部分ですし、ある意味では、逆にこれがあるから人生があると言えるのかもしれません。
人生を解説するどんな理論があったとしても、しょせんそれはひとつの観点にすぎませんものね。
別の人が解説すれば、また別の理論が生まれてくるのかもしれませんし。
それに比べれば、ゴシップはひとつの人生が実際にどんなふうであったかを間違いなく明かしてくれているわけです。
ま、ことさらそんなことを言うまでもなく、人間は総じて“ゴシップ好き”ですけど。
ところで、マンガラは自分がヌメロロジーを仕事にとすることになった流れを「ある意味では、すべて偶然の成り行きだったとも言える」と言っています。
それもそれで、彼女にとっての確かな感想だったのだと思います。
とはいえ、「偶然の成り行き」で誰もがヌメロロジーを職業とするようになるわけでないのも自明です。
そうすると、すべては起こるべくして起こっている、すべては“必然の成り行き”、“あるがまま”だと言えるような感じもあります。
そうしてみると、“偶然”と言い、“必然”と言っても、どこにその違いの境目があるものやら……。(^_-)
まあ、そんな理屈はともなく、マンガラの場合は、どういう成り行きで、ヌメロロジーのワークをすることになったんでしょうね。
そのあたりの話を聞いてみましょうか。
——————————————————————– 編:あなたはどうしてヌメロロジーのワークをするようになったのですか。
実は、すべてはタロットから始まったのです。 私は心理学の学位を取って、数年間ジャーナリストとして働き、それから進歩的な女性誌の編集者となりました。 何もかもとてもうまく行っていたのですが、突然でしたね、終わりがやってきたのは。 私にとって、そういったことがまったく意味を持たなくなり、何の興味もなくなってしまったのです。
それからの数年間は、自分が何を探しているかも分からないまま、あちこちを旅して回り、行きついた先がインドのプーナにある和尚のアシュラムでした。 そこで、だれかがタロットのリーディングをしてくれて、それで私はたちまちタロットカードに恋してしまったのです。
私にとって、ずっと探していたものはこれだ、心理学を通して探していたのに見つからなかったものはこれだと感じたのです。 個々の人のマインドに分け入り、それを理解するこんな方法があったんだ、と、私はたちまちのうちに夢中になり、それからはどこへ行くにもカードと一緒。 私にとっては、使い方を学んだと言うよりも、思い出したという方が当たっている感じですね。
それから数年たって、ヌメロロジーに出会ったときも、そんな感じでした。 ある意味では、すべて偶然の成り行きだったとも言えるんですが。 その頃には、友人にはタロットのリーディングをするようになってはいましたが、まだプロにはなってはいませんでした。 そんなあるとき、私は友人をたずねてハワイに行ったのです。
そこで彼女はサイキック・リーディングをしていて、私にもセッションをしたらどうかってことになって、面接の手はずを整えてくれたんです。 ところが、その店では、2つのツールを使える必要があると言う、でも私には、その頃はタロットしかありませんでした。 そんなとき、その彼女の家の大きな書斎に山ほどあったヌメロロジーの本を見つけて、すっかり入れ込んでしまったというわけです。 私にとっては、何かとてもなじみのある、深く埋もれていた記憶が蘇ってくるような感じでした。 そしてその一週間後にはもう、そのお店でヌメロロジーとタロットのセッションをしていました。 そしてそれが今でも続いているというわけです。
それは25年ほど前のことなんですが、今思えば、ほんの始まりに過ぎなかったようですね。 それ以来、私はいろんなことを学んで、しかも今もまだ学び続けていますから。 自分自身についての新しい発見をするたび、私のヌメロロジーに対する理解も増していきます。 それは、人生を見つめるためのすばらしい道具です。 私はこの出会いにとても感謝していて、だからこそ、こうしたツールを教えるのがとても好きなんです。 私はいつも、こうしたグループで、何か非常に貴重なものを手渡していると感じているし、それは本当にすばらしい感じなんです。
『リビング・エナジー』Vol.5(p89-90) ——————————————————————–
なるほど。
マンガラは、ヌメロロジーを人に教えながら「何か非常に貴重なものを手渡していると感じている」んですね。
それはとても、幸運な巡り合わせですね。
pari 記
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