「クローディアとマイク、エリックより愛をこめて」から マイク・ブース
私たち人間同士が付き合うとき、お互いがお互いの状態に対応したふるまい方をするのは当然のことです。
相手が人間でなく、動物と付き合うような場合を考えても、お互いがお互いの状態に対応して行動しているのは当然のこととして前提していると思います。
これが、相手が植物となると、ちょっと様子が違うかもしれません。(^_-)
でも、たとえ関わる相手が植物であっても、日常的に深くそれと付き合っている方々は、相手がやはりこちらの行為に応えてくれていることを知っているのではないでしょうか。
それは、客観的な事実として他の人に伝えることはできないかもしれませんが、当人の感覚では当然のこととして知っているように思います。
でも、植物を相手にした親密な関係を持ったことがない方には、植物が自分の態度に応えてくれるというのは、ちょっと信じがたいという印象を受けるかもしれません。
だから、結局こういうことは、誰にとっても客観的な事実だ、というふうに了解されることのない関係であり応答なのかもしれませんね。
オーラソーマでは、ボトルは使う人の“必要に応じて変化する”といいます。
これは、ある人には“当然のこと”であり、またある人には“信じられること”であり、また別の人には“信じられないこと”かもしれません。
無理強いして信じさせることなど、もちろん、できないことでしょう。
だから、惹かれる人が惹かれるよりほかないことなんですよね。(^^;)
オーラソーマの中核を担うマイク・ブースたちはこんなふうに言っています。
——————————————————————
ヴィッキーは、いつも言っていました。
ボトルは、人々が必要としているものに合わせて自らを修正するのだ、と。
私たちが、これを信じようと信じまいとです。
カラー・カードや本や説明やその他のものにもかかわらず、私たちはこれを信じることも信じないこともできます。
それは、私たちの選択です。
最初からヴィッキーの依頼により、クローディアと私は、オーラソーマのシステムの統合性を保つことと、オーラソーマに含まれるエネルギーの最先端を推し進めることに固く従事してきました。
私は自分たちが過ちを犯さないとも、この役割において完全だとも言ってはいません。
しかし、こうした過酷な役割が、私たちに要求してくるものを満たすべく、最善を尽くしています。
最も困難な状況においてさえ、すべきことをしなかったということは決してありません。
上の部分に濁りを発見するとき、自分かクライアントに目を向けて、ヴィッキーとマーガレットの初めての展示会のときに、どのボトルが最も人々を惹きつけたかを思いだすでしょうか。
あるいは、「これらのボトルは見た目が完全じゃないから良くないわね」と言うでしょうか?
これは、本当にジレンマです。
わかっているけれども、わからない。
これが私の正直なところです。
もしも合成品ではない自然なキャリアオイルを使っているなら、ある状況下では、自然にろうのようなものができたり、結晶したように見えたり、さらにはボトルの内側の表面に気泡がつく等のことが起こります。
こうしたことは、実際に避けることのできない現象です。
この試練のときに、あなたにとって見ることが困難な物事に直面するに当たって、みなさんが最善を尽くされることを祈ります。
あなた方に、これらの考えを、イースターの贈り物としてお贈りします。
クローディアとマイク、エリックより愛を込めて。
『リビング・エナジー』vol.4 (p40)
——————————————————————–
日本の女性には、なんとなく植物エッセンスのなかに生きているエネルギーを信じられる方が多いのでしょうね。
そして、信じる方にはボトルのなかの生きているエネルギーが伝わるのだと思います。
だから、こんなにもオーラソーマのボトルたちが受け入れられているでしょうね。
pari 記