カルマはワークです

カルマはワークです

「魂の万華鏡」から  Penni Du Plessis

       

私たちは自分の現実を創造している、というような話を聞いたことがありますか?

これまで地球の住人として生きてきて、この地上の常識に慣れ親しんできた者としては、とうてい信じられるような話ではありません。

でも、そうはわかっていながら、どこか興味があると言うか、もしかしたらほんとうなんじゃないか、というような気がしないこともありませんよね。

なんだか、もしそうだったらこの理不尽な人生もわかるよな、といったような感じです。(^^;)

でも、この【私たちは自分の現実を創造している】という話は、私たちにとってただ嬉しいというような話でもないのです。

それは、じつは自分が生きている現実、つまり私たち個々人が生きている現実に対して、私たち自身だけが責任があるという途方もない話なのです。

これまで自分が生きてきた世界では、それぞれの当事者にそれぞれ責任がある、と深く思い込んできた私たちにとっては、そのすべてに責任があるのは自分だけ、というような話はとうてい理解できるようなものではありません。

理解はできないのですが、それっていったいどういう意味? という興味が湧くことも確かです。

そんなことはありっこないけど、でもどういう意味でそういうことを言うのか、ちょっと聞いてみたい、という気がするわけです。

もし、自分が見ている映画の話だったら、その映画を見ている全責任は自分にある、という話は理解できるからです。

なにしろ、他にもいろいろあるだろうに、その映画を見ることにして、切符を買って映画館に入ったのは、たしかに、自分ですから。(^^;)

私たちの生きている現実世界にも、そういう比喩が妥当するような側面があるとでも言うのでしょうか?

あなたはどう思いますか? 

まさか、という感じですよね。(^_-)

ほんとのところ、どういう感じなんでしょうね。

前回に引き続いて、Penni Du Plessisさんの見解を聞いてみてください。

       

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私たちは自分のまわりに自分の体験と現実を作り上げています

 

私たちは「Xファイル」や「タッチド バイ エンジェル(天使に触れられて)」のエピソードのように生きていきたいのでしょうか?

 

私だったら、後者のエピソードのなかに入ります。

 

ほんの一瞬で欲しいものを手にできるのですから。
ちょっと考えるだけで、人間を平和な者、光の存在(ライトビーイング)に変容できるのですから。

 

巨大星雲の実存になったことを想像してみてください。
そうなると私たちは現実を変えることができ、惑星から惑星へと旅をして新しいことを経験し、学び、成長できるのです。

 

 

それこそ、私が乗りたいジェットコースターです。

では、どうやって私たちがこれを達成できるかを見てみましょう。

 

私は、この特別な仕事を与えられたことを深く感謝しています。
このワークは新たな道を開き、私たちを時間の中に封じこめているカルマを片づけてくれるのです。

 

時間がカルマです。
そしてカルマはワークです

 

私たちが次に行きたいところを選べるように、今生一度で、すべてのワークを片づけることができると、想像してみてください。

ご存知でしょうが、もしあなたが、誰かに言われたことに反応すると、(それが彼らに後悔を感じさせたり、彼らを助けたり、あるいは彼らを怒らせたり、苛立たせたりしますが)、あなたは彼らのカルマとからみ合ってしまうのです

盗むな、人を殺すな、人と争うな、そういったことを私はとても大切なことだと思っていました。

 

でも違うのです。

 

それはあなたが他の人の生に巻き込まれると生じます

 

これはほんとうに恐ろしいことです。

 

一日に何回そんなことがあなたに起こるか考えてみましょう。
カルマを解き放つ鍵は、それを愛しながら大切にしてあげることです。

 

病気であれ、苦い関係性であれ、それを成長への経験として許しましょう。

 

あなたが面倒を見ている、公平な立場で愛していることを知らせるのです。
そうすればそれは自らを愛するようになります。

 

それに固執しないように。

                
『リビング・エナジー』vol.5 (p19-20)
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ふーん。(-_-)

【時間がカルマです】

【そしてカルマはワークです】

わかるような、そしてわからないような。

なんか不思議な感じですね。(*^_^*)

pari 記

 

 



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