犠牲の本来の意味は「聖なるものにする」

犠牲の本来の意味は「聖なるものにする」

「オーラソーマ 光と身体」から  ドミニク・ヨーマン

       

突然ですが、あなたは生まれてくる前はどこにいたと思いますか?(*^_^*)

どこかにはいたんだろうと思いますか?

それとも、「いや、どこにもいなかったんじゃない」と思いますか?(^_-)

それじゃ、もうひとつ、あなたは死んだ後はどうなると思いますか?(*^_^*)

どこかにはいるんだろうと思いますか?

それとも、「いや、どこにもいないんじゃない」と思います?(^_-)

これ、ちょっと考えたらわかるように、同じことみたいですね。

おそらく、死んだ後何処かへ行くんだとしたら、それはきっと、生まれる前にいたところなんじゃないでしょうか。

そしてもし、死んだ後何処にもいなくなるんだとしたら、きっと、生まれる前も、どこにもいなかったんじゃないでしょうか。

自分がいると思っているのは、身体を持ってこうして生きている、このあいだだけなのかもしれません。

つまり、この期間だけは、自分がいると想像している。(*^_^*)

じつは、こういうことをおっしゃる方々は、古来たくさんいるんです。

つまり、こうして身体を持っている間だけ、私たちは自分がいるという夢を見ているんだ、というわけです。

なんか変な話ですね。(^^;)

ご存知のとおり、オーラソーマでは、こうして生まれてきて身体を持っている“自分”は、生まれてくる前にもどこかにいたんだと考えています。

すると、そのどこかにいた“自分”がこうしてまた身体を持つことを、“輪廻”とか“転生”とかいった観念でとらえるのです。

そしてまた、そういう観点に立てば、自分の前世を知っているという方たちの記録もたくさん見つかるんですよね。

オーラソーマに出会ったドミニク・ヨーマン氏は、旅人としての「真のオーラ」、乗り物としての「肉体」という概念に逢着します。

「真のオーラ」は肉体として生きるためにこの世に生まれてきて、しかもそれはその肉体としての生を超えていくためだというのですが……。

ではドミニク・ヨーマンの「オーラソーマ 光と身体」の記事から、この世での生がいったいなんのためにあるのかのドラマに触れたあたりの記述をご紹介しましょう。

       
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ひとつの特定のイクイリブリアムボトルを見ることで、それがはっきりするでしょう。
そしてこの課題について、どんな光を注いでいるのかを見てみましょう。
それは、このテーマのエッセンスを含んでいるように思われます。

イクイリブリアム55番はキリストと呼ばれています

 

http://artbeing.com/aura-soma/equi/B055.html

 

このタイトルは多くの魂の探求をしたヴィッキー・ウォールによるもので、彼女のインスピレーションによって、そう名づけられました。

 

このコンビネーションは上の層がクリアー、下がレッドです。
これはとても直接的なあり方で、光とボディーのテーマを示しています。

 

レッドはグラウンディング、物質世界、私たちを地に根づかせる肉体、現実というこの世界で私たちが互いに影響し合うことを可能にする乗り物です。

 

クリアーは純粋な光、純粋なエネルギーです

 

キリストのコンビネーションにおいて光と物質、クリアーとレッドが一緒になります。

イエス・キリストの人生の実践がこれに対する証拠となります。
彼は神の子でありながら人間の女性から生まれ、物質界とスピリチュアルな
世界の両方に存在しました。

 

肉体は十字架で死にましたが、光の身体が立ち上がり、すぐに上昇しました。
光になると、重力はそれをとどめることはできません――それは体を持っていません。

 

キリスト教徒が毎週集まって、ミサを行うのは興味深いことです。
肉体は純粋なエネルギーであることを妨げます。
しかし、そうするとこれはまた重要な点です。

 

私たちは肉体にいるためにこの世に生まれてきたのであって、それから逃げるためではなく、それを超えていくためです。

キリストをよく犠牲と関連づけて考えます。

 

犠牲の本来の意味は、何かをあきらめるということではなく、「聖なるもの
にする」という意味があります(この肉体としての身体を知ることは、私た
ちが光の身体、つまり純粋なエネルギーであることを知ることです

 

アインシュタインがE=mc2という公式で表した真実は、物体とエネルギーは入れかわることができるということです。

 

オーラソーマはボトルのなかに実体となった光と色です。
私たちは肉体として表れる光と色です。

 

オーラソーマのエネルギーを私たちに与えることによって、光として私たちが生きることを覚えていることができます。

 『リビング・エナジー』Vol.4(p79)
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ドミニク・ヨーマン氏は【肉体としての身体を知ることは、私たちが光の身体、つまり純粋なエネルギーであることを知ること】だと考えているんですね。

【私たちは肉体として表れる光と色】だと。

うーむ……。(-_-;)

なかなか難しいところですね。(*^_^*)

pari 記
 

 



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