色彩の言語――イエロー
http://aura-soma.co.jp/intro/color_language/yellow.html
前回は第一の原色ブルー。大いなる意識でした。
今回は第二の原色イエロー。大いなる意識が自己を認識する姿を現します。
という説明を聞いても、おそらくほとんどの方は??? だと思います。
例を使って説明しましょう。
例えば、大いなる意識が海だとすると、そこに魚が登場するようなものです。
こんなお話があります。
非常に好奇心の旺盛な若い魚がいました。
その若魚が、長老の魚に聞きました。
「みんな海があるっていうけれど、僕、海なんてみたことないよ」
長老の魚は答えます。
「馬鹿なこと言うんじゃない。おまえは海の中にいるんだ! みんな魚は海から生まれ、海の中に消えていくのだよ」
これは、私たちが大いなる意識の中に生まれてきて、そこで小さな意識を持って生きていて、それを自分自身だと思っていても、結局はまた大いなる意識に還って行くのだということを言っているようです。
私たちは、この大いなる宇宙の中から生まれてきて、宇宙に還っていきます。
私たちの細胞の中には、宇宙の最初に存在していた原子も含まれているのです。
私たちは、この意中の星と同じ原子で構成され、植物や動物を含む、この生きとし生けるものに流れている、同じ生命力に活かされています。
唯一、他の生物と異なっているのは、人間には他の生物にはない「意識」があるとされています。
オーラソーマでは、その意識にはイエローの意識とブルーの意識があるとされています。
汝の意思と我の意思です。
イエローの意識というのは、自己であるという意識、自我の意識、我の意思です。
ブルーの意識というのは、大いなる意識、宇宙意識、サムシンググレートとも言われているものです。
意識のレベルで言うと、真の自己を見いだしたとき、私たちはその大いなる意識を内側に見いだすことになるようです。
たとえて言うと、大いなる意識が大空のブルーだとすると、そこに黄色い太陽が登場します。
その太陽は、自分が世界の中心であるという意識。自我意識、エゴの登場です。
大いなる意識に対する小さな意識とも言えます。
ブルーの汝の意思に対して、イエローは個人の意思というふうにオーラソーマでは定義しています。
ここで、存在とひとつであったブルーの意識が、存在と分離したイエローの意識になってしまうのです。
それがいわゆる人間の意識です。
白隠は、このことを坐禅和讃で次のように言っています。
衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近くを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
・・・・・
これは小さな意識のイエローが、大いなる意識のブルーから離れてしまって、本来、ブルーの意識の中では一つなのに、それとは分離した自我に目覚めた苦悩を表しているようです。
それは人間として生まれれば、誰もが通るべき「道」なのですね。
本来宇宙とひとつであるという豊かさを内に秘めているのに、そうとは知らずに、自分は孤独で無価値な存在だと思ってしまっているのです。
自我が成長してくると、ある時期、自分の視点でしかものごとを見れなくなりますし、自分が世界の中心だと考え、比較や競争、コントロールの問題が出てくるわけです。
存在と分離することで、死の恐怖、自己を失う恐怖に直面します。
チャクラでみると、イエローは太陽神経叢が第三のチャクラであり、パワーセンターでもあります。
http://aura-soma.co.jp/intro/subtleanatomy.html
そこは神経が集まっているところでもあります。
そこからもイエローの持つ多くの意味が導き出されてきます。
というふうに、イエローの色の言語の意味が自己を認識すること。そしてイエローのチャクラの持つ意味からイエローのさまざまな色の言語が導き出されてくるわけです。
尚 記
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