いつの世にも求道(ぐどう)とか探求と呼ばれる方向に進む心的傾向を持った方々が一定数いるのでしょうか?
道を求めるというのは何を求めているんでしょうね?
「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉があります。
人生というのが何のためにあるのかの道理さえ理解できれば、もうその日には死んでしまっても構わない、といった切迫した気持ちを表現した言葉だと思います。
紀元前500年といった古代中国の思想家、孔子の言葉を編纂した『論語』にある言葉ですが、人生というものが何なのかをどうしても知りたいという精神状態に至る人たちがいつの時代にもいたのでしょう。
同じ『論語』に「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるように、そのような人たちはあり意味で衣食足りた人たちでもあったでしょう。
ただ生き延びるためというのでは納得がいかない、あるいはただ享楽的に生きることはできない、というタイプの心的エネルギーなのかもしれませんね。
もしかしたら、宇宙的生命エネルギーが過剰な心的エネルギーとなって放出されたとき、その収まりどころを求めた姿とも言えるのかもしれません。
人はなんのために生きているのか?
画家ゴーギャンが晩年タヒチで描いた作品につけたタイトル『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』は宇宙生命そのものの声なのかもしれませんね。
今回ご紹介するGyanil Atsukoさんは、探求の旅の過程で何度目かに訪れたセドナからの帰りの飛行機のなかで涙が止まらなかったそうです。
人それぞれの探求の道があるとも言えるでしょうし、それらはすべて分離不可能なひとつの宇宙エネルギーが様々の人となって表現された形なのかもしれませんね。
ではGyanil Atsukoさんの記事「ユニティインスティチュート体験記『セドナハートの広大さに還る旅』」から、そのあたりに触れた部分をご紹介しましょう。
セドナの旅から戻って半年ほどになる。
そして、私は思っていた。
ほんとうにすばらしい旅だったけれど、今回の旅では驚くような変化がなかったなと。
けれども、今、セドナでの日々を振り返って、私は静かに驚いている。
意味があるとか、成果があるとか、どれくらい変わったかとか、これまで一生懸命に追い求めていたものを、今はそれほど気にしていないことに気がついた。
変わらなければ、という意識から開放されていることにさえ、私はまったく気がついていなかった。
もしかしたら、ほんとうの変化はきっと目には見えないのかもしれない。
それはたぶん、いつのまにか、あまりにも自然に起こるものだから。
変化がなかったということに、焦りを感じていなかった私は、もしかしたら以前とは大きく変化したのかもしれない。
私は、またセドナの地を訪れたいなと思っている。
そして、リーラとプラサード、そしてアルヴィナと、セドナのやさしい風を感じながら、もう一度キャンドルの灯りで、ディナーをともにしたいなと、ほんとうにそう思う。
けれども、それと同じ強さで、私はこうも思う。
私は今もセドナとともにある。
そして、3人の恩師は、いつもハートという広大なスペースのなかで、ともにくつろいでいる。
セドナからの帰りの飛行機のなかで、私は涙が止まらなかった。
サンフランシスコから、関西空港までの10 時間ほどのフライトのほとんどを、私は泣いて過ごした。
それは、寂しかったからでも悲しかったからでもない。
ものすごく愛されていると、感じたから。
この世界に生きていて、取引ではない愛を、体験することはどれくらいあるだろう?
プレゼンス~ただ、そこにともに在る~
サトルボディ・ヒーリングにおいても、繰り返し伝えられる、ハートの深みにある質。
物事を変えようとするのではなく、ただ、それがあるがままであることを許す。
そうすると、凝り固まっていたものが緩み、そこにスペースが生まれていく。
エネルギーを与えることも、奪うこともない中庸の状態。
それを体験することによって、変化するものは自然に変化していく。
「ユニティインスティチュート体験記『セドナハートの広大さに還る旅』」より
『リビング・エナジー』Vol.9(p109)
なにか落ち着くべきものが落ち着くところに収まっていく感じですね。
どんなエネルギーにもそれ自体が内蔵している軌跡があるのかもしれません。
pari 記