デヴ・オーラ リチャード レヴィントン
もう2012年も1月下旬に入ってしまいましたね。
今日は関東地方にも久しぶりの雪が降っています。
さて、今から二十年以上前のロンドンでホメオパスの診療所を訪れたことから、オーラソーマに縁ができたリチャード・レヴィントンさんの「オーラソーマ」との邂逅を叙述した記事もいよいよ最後の場面を迎えたようです。
さすがにヨガ・ジャーナルのプロのライターだけあって、細部にわたってバランスの良い魅力的な記事でしたね。
マイク・ブースのコンサルテーションを終えてほっと一息、レヴィントンさんの筆は当時まだその場にいた生前のヴィッキーさんとマーガレット・コクビンさんの姿にも触れています。
オーラソーマはヴィッキーさんの瞑想に現れた夢から始まりました。
しかもレヴィントンさんが描いているこの時点は、地上にデヴ・オーラというオーラソーマの飛躍のための中核を獲得してから4年後、ヴィッキーさんの夢が確実に形を取り始めていた頃でした。
すでにヴィッキーさんは「オーラソーマ」の基礎を確実なものとし、後継者のマイク・ブース氏に後事を託していました。
まだまだ形にはなっていない多くの夢はありましたが、そこには大きな未来に対する予感と確信にみなぎっていました。
このレヴィントンさんの記事は、そんな当時の雰囲気を見事に伝えています。
——————————————————————– デヴ・オーラ
エソテリックな話題について高度なレベルの話しを何時間もしたせいか、私自身のオーラがしおれはじめてきた、そこでブースは、ちょっと気分転換にテットフォードを一緒にぶらぶら散歩でもしないかと提案した。
一本の環状道路が非常に小さな村を囲むように一周し、ついにはあぜ道となり、降ったばかりの白い雪が道端に積み上げられていた。 オーラソーマの2エーカーの会議室、トレーニング、宿泊のためのセンターは、リトルロンドンの、環状道路からはずれた静かな場所に王者のように隠されていた。
1987年1月、ブースは何十年ものあいだ生い茂った蔦を、放棄され、崩れかかった司祭館から取り除く作業を始めた。
「完全なジャングルだったのよ」とマーガレット・コクベインは回想した。
「でも、私たちは山のような仕事に直面していたのに、わくわくしていたわ」 とヴィッキー・ウォールは付け足した。
「その場のヴァイブレーションはパワフルで、でも静けさにみちていて、すべてが放棄されていたなかにあっても、それがこれからどうなるか、その約束を感じ取ることができたの」
その年の9ケ月間にわたる「教会的努力」のすえ、その古い司祭館は完全にヒーリングセンターとして使えるようになった。 ウォールとコクベインとブースは、1987年10月、最初の泊り込みのトレーニングプログラムのために、「デヴ・オーラ」の扉を開けたのだった。
「私はカラーセラピストは引退してしまってフルタイムの大工になったんだと思いましたよ」とブースはくすくす笑った。
それから4年以上経った今、ウォールがかけだしで始めたカラービジネスについて、彼女が直感した約束の多くはすでに実現している。 ちょうど昨日、オーラソーマのスタッフは、別の一週間にわたるセミナーのあと残っていた何十人ものヨーロッパの人々をバスの停留所や電車の駅、空港などに送り出したところだ。 バランスボトルの注文は先月1万本に達した。 アメリカ合衆国でのプログラムが計画され、アムステルダムとロンドンでの展示会が差し迫ってきている。 そして新しいバランスの色の組み合わせが調査され、創りだされている。
「人々はわくわくしています。その色によるヒーリングの可能性に興奮しているといってもいいぐらいです」とブースは言った。
私はと言えば、とにかく、生きている色のエネルギーがどのようにして私の人生や健康をシフトさせるのを助けてくれるのか見るために、オーラソーマのイエローとライラックの液体を身体に塗りたくてしかたがない。 あのロンドンのホメオパスが謎のようにほのめかしたように、ブルーが私に何を言いたいのか、発見したいと思っている。
『リビング・エナジー』Vol.1(p17) ——————————————————————–
予感と確信に満ちあふれた瞬間ですね……。
デヴ・オーラが開かれてから、4年でバランスボトルの注文は、月1万本の規模に拡大していたんですね。
そしてそのときから、また多くのイクイリブリアム(バランス)ボトルが誕生し、様々な新しい商品も生まれ続けています。
ヴィッキーさんの夢は、こうして確実に人類の癒しにまで広がっていくのでしょう。
pari 記
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