ポマンダー、クイントエッセンス、イクイリブリアム その6
では、色のエッセンスには、どのようにつながるのでしょう?
インヴォケーション、を通してです。
invocation 辞書で引くと、(救いを求める)祈り、祈願とあります。
この「祈り」という言葉は、非常に誤解を招きやすい言葉です。
これだと、マスターに救いを求めて祈る、というような意味になってしまいますが、これでは本来の意味ではないように思います。
そこで、その意味をもう少し詳しく見るために、invoke という意味を調べてみると、(魔法で霊を)呼び覚ます、呼びかける、という意味があります。
どちらかというと、この「呼びかける」というニュアンスに近いと感じています。
私の感じるところだと、クイントエッセンスというのは、その色のエッセンスに波長を合わせるための色と香りのチューニングフォーク(音叉)のようなものだと思います。
マスターの名前に象徴される、目には見えない存在、ある色のエッセンス、その繊細で微妙な存在の波長に合わせていくことを、このクイントエッセンスは助けてくれるのです。
そのような存在にハートを開いていくことを助けてくれるものが、このクイントエッセンスです。
クイントエッセンスは、アストラル体とエーテル体の、より微妙なオーラの領域に作用すると以前に説明しましたが、そのような微妙な波長に合わせていくことを助けてくれるわけです。
人間はこの肉体を持って存在していますが、同時に魂があり、霊的な存在でもあります。
その霊的な存在であることに、もっと意識をもたらしていくことを助けてくれる道具ともいえるかもしれません。
マスターという存在に出会ったことがある人であれば、体験があるかと思いますが、そのような人は人間としての肉体を持ちながらも、瞑想であれ、愛であれ、至福であれ、人間としての究極の可能性を感じさせてくれるような存在でもあります。
そして、そのような存在は、肉体を持っていなくとも存在しているような存在でもあります。
ある意味では、クイントエッセンスというのは、そのような存在の可能性に自分自身を開いていくことを、助けてくれるものともいえるかもしれません。
祈りというと、prayer としての「祈り」という言葉が一般的ですね。
普通、「祈り」というと、困ったときの神頼みで、いろんな自分の欲望で神様におねだりをしたり、困ったときに神様に助けてください、ということが祈りだと思ってしまいがちです。
でも「祈り」というのは、究極の愛の形だとインドの神秘家 OSHOは言っています。
彼は、愛には、セックス、愛、祈り、という3つの段階があるといいます。
普通、私たちが愛と言っているのはホルモンの作用で、セックスの情熱に過ぎない、と。
それを超えたところに、本当の無私(エゴのない)の愛があり、さらに存在に自分を明け渡していくという祈りという愛の形があると。
インヴォケーションでの祈りというのは、存在に自分を明け渡すという愛の祈りとまではいかなくとも、より高い存在に波長を合わせていくことことで、本来の自分の内側にある霊的な存在、霊的な部分に気づいていく、ということなのだと思います。
キリストというクイントエッセンスであれば、キリストが生きた愛のエッセンスを体験することにつながっていくでしょうし、老子と観音であれば、タオの瞑想と観音の慈愛、ということの体験につながっていくことを助けてくれるでしょう。
と、少し大げさなことを書いてしまったかもしれませんが、クイントエッセンスは、エーテル体やアストラル体のオーラのエネルギーのバランスを取ってくれるものである、といった単にエネルギーレベルでの作用もありますので、ただそのように使うことも、もちろん可能です。
その人の目的と感受性によって、クイントエッセンスはさまざまに使っていくことができるものですので、それぞれの皆さんが自分の直感と大いなる内なるガイドに従って使用されることをお勧めします。
では、ここでクイントエッセンスの使い方を復習してみましょう。
次回は、ポマンダーとクイントエッセンスの選び方について書いてみましょう。
尚 記
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