カルマはワークです Penni Du Plessisi
「魂の万華鏡」からの抜粋 Penni Du Plessisi
「カルマ」(業:ごう)という言葉が、ある種の迷信のように受け取られていた時代もありました。
天国や地獄の存在が疑われるようになり、地獄の“閻魔大王”などはその言葉の響きのおどろおどろしさからして、まさに子供を怖がらせる迷信そのもののようでもありました。
天国はあってもいいし、神様ならいてもいいけど、地獄や悪魔なんか欲しくもない。
だから閻魔大王なんかいるはずもない、といった感じかもしれません。(*^_^*)
でも、残念ながら、ものごとが現象するには対極として表現される二元性が必要であることは疑いようのない事実です。
だとすれば、現象世界には「二元性の原理」が貫徹しているはずで、これが乱れては現象世界そのものが崩壊することになります。
この現象世界を崩壊から救っているものこそ「バランスの法則」ということでしょう。
まあ、それが“閻魔大王”の今風の名前なんでしょうね。(^_-)
「バランスの法則」が支配するなら、バランスからの“偏り”は何らかの形で記録されなければならないはずです。
そのいわば“複式帳簿”の名前を、時間と呼ぶのかもしれません。
だって、時間がなければバランスからの“偏り”は、行き場に困ってしまいます。(^^;)
というわけで、どうやら「カルマ」は、ありそうです。
「魂の万華鏡」の筆者Penni Du Plessisiは、時空の旅人「魂」の観点から、「カルマはワークです」と言っています。
——————————————————————– 私たちは自分のまわりに自分の体験と現実を作り上げています。 私たちは「Xファイル」や「タッチド バイ エンジェル(天使に触れられて)」のエピソードのように生きていきたいのでしょうか?
私だったら、後者のエピソードの中に入ります。 ほんの一瞬で欲しいものを手にできるのですから。 ちょっと考えるだけで、人間を平和な者、光の存在(ライトビーイング)に変容できるのですから。 巨大星雲の実存になったことを想像してみてください。
そうなると私たちは現実を変えることができ、惑星から惑星へと旅をして新しいことを経験し、学び、成長できるのです。 それこそ、私が乗りたいジェットコースターです。
では、どうやって私たちがこれを達成できるかを見てみましょう。 私はこの特別な仕事を与えられたことを深く感謝しています。 このワークは新たな道を開き、私たちを時間の中に封じこめているカルマを片づけてくれるのです。 時間がカルマです。 そしてカルマはワークです。
私たちが次に行きたいところを選べるように、今生一度で、すべてのワークを片づけることができると、想像してみてください。
ご存知でしょうが、もしあなたが、誰かに言われたことに反応すると、(それが彼らに後悔を感じさせたり、彼らを助けたり、あるいは彼らを怒らせたり、苛立たせたりしますが)、あなたは彼らのカルマとからみ合ってしまうのです。
盗むな、人を殺すな、人と争うな、そういったことを私はとても大切なことだと思っていました。 でも違うのです。 それはあなたが他の人の生に巻き込まれると生じます。 これは本当に恐ろしいことです。 一日に何回そんなことがあなたに起こるか考えてみましょう。
カルマを解き放つ鍵は、それを愛しながら大切にしてあげることです。 病気であれ、苦い関係性であれ、それを成長への経験として許しましょう。 あなたが面倒を見ている、公平な立場で愛していることを知らせるのです。 そうすればそれは自らを愛するようになります。それに固執しないように。
『リビング・エナジー』Vol.5(p19-20) ——————————————————————–
なるほど。
「もしあなたが、誰かに言われたことに反応すると……あなたは彼らのカルマとからみ合ってしまう」……かぁ。
「赤信号、みんなで渡れば恐くない」とばかりに、何かの“偏り”に相乗りすると、どうやら「付け」だけは、ちゃんと届くようになっているのかもしれませんね。(^_-)
pari 記
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