B084 Candle in the Wind(風の中のキャンドル)その1

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ボトルのメッセージ:傷つきやすさが、より高い目的に向かう強さと道になる。

メインテーマ:愛の真のパワーを目覚めさせる――ケアしたい欲求

アファメーション:私が愛の力に自分自身を開く以前に過ぎ去ったことを手放します。



今回のボトルB84のボトルの名前はキャンドル・イン・ザ・ウィンド(風の中のキャンドル)


さよなら ノーマ・ジーン
一度たりとも知り合うことはなかったけど
あなたには自ら身につけた気品があった
一方であなたのまわりの人々は群がっていたよ
彼らは映画セットの外で群れていた
そして彼らはあなたの頭のなかに囁いた
彼らはあなたを退屈な仕事に就け
そして彼らはあなたに名前を変えさせた

そして僕には思える あなたの生きた人生は
まるで風の中のキャンドル
And it seems to me you lived your life
Like a candle in the wind

決して知らなかった 誰にしがみ付けばいいのかを
雨が降りはじめたとき
そしてあなたと知りあえていたら良かったのにと思う
でも僕はほんの子どもだった
あなたのキャンドルははるか以前に燃え尽きたよ
あなたの伝説は永遠に

孤独はタフだった
それまであなたが演じた中でもっともタフな役
ハリウッドはスーパースターを作りだした
そして苦痛はあなたが支払った対価
あなたが死んだときでさえ
あらゆる記者はあなたを追いまわした
あらゆる新聞が言わねばならなかったこと
それは 「マリリン 全裸で発見」

そして僕には思える あなたの生きた人生は
まるで風の中のキャンドル
決して知らなかった 誰にしがみ付けばいいのかを
雨が降りはじめたとき
そしてあなたと知り合えていたら良かったのにと思う
でも僕はほんの子どもだった
あなたのキャンドルははるか以前に燃え尽きたよ
あなたの伝説は永遠に

さよなら ノーマ・ジーン
一度たりとも知り合うことはなかったけど
あなたには自ら身につけた気品があった
一方であなたのまわりの人々は群がっていたよ

さよなら ノーマ・ジーン
(映画館の)22列目の若者より。
あなたをセクシー以上の何かと見なしている者より。
単なる<僕らのマリリン・モンロー>以上だと

そして僕には思える あなたの生きた人生は
まるで風の中のキャンドル
決して知らなかった 誰にしがみ付けばいいのかを
雨が降りはじめたとき
そしてあなたと知りあえていたら良かったのにと思う
でも僕はほんの子どもだった
あなたのキャンドルははるか以前に燃え尽きたよ
あなたの伝説は永遠に

あなたのキャンドルははるか以前に燃え尽きたよ
あなたの伝説は永遠に

Candle In The Wind (風の中の火のように(孤独な歌手、ノーマ・ジーン)) /Elton John (1973)


words by Bernie Taupin
music by Elton John
translation by Miya_Juryou

エルトン・ジョンがマリリンモンローの死を悼んで捧げた歌、「キャンドル・イン・ザ・ウインド」の歌詞の和訳です。

「孤独な歌手、ノーマ・ジーン」の本名はマリリン・モンロー(MarilynMonroe, 1926年6月1日 – 1962年8月5日)



マリリン・モンローは1962年8月5日に謎の死をとげましたが、彼女が亡くなった当時エルトン(Elton John)は15歳。作詞のバーニー・トウピン(Bernie Taupin)は12歳。

その11年後に、この曲が発表されたわけです。

「あなたの生きた人生は、まるで風の中のキャンドル」

マリリン・モンローの人生は、「ノーマ・ジーンとマリリン」という映画にもなっていますね。

不幸な少女時代をすごしたノーマ・ジーンが、あらゆる手段を使って映画スターになる夢をかなえてゆく物語です。

モデルになったノーマ・ジーンは、事務所の指示で髪をブロンドに染めて、「マリリン・モンロー」と名前を変え、「マリリン・モンロー」としてスターの階段を登って行くのですが、スターになって心の平安を求めるマリリン自身の中に、「ノーマ・ジーン」がもうひとつの人格として登場し、マリリンを追いつめ、心を乱すのです。

親の愛を受けずに育ったノーマ・ジーンが、マリリン・モンローになっても常に愛を求め続け、結局理想の男性や自分の理解者を見つけられず、酒と薬で自滅してしまうまでを描いています。



このエルトンジョンの曲やノーマ・ジーンの映画で描かれたマリリン・モンローの人生が、私たちのこころを打つのは、その同じものが、多かれ少なかれ、私たちの心のなかにもあるからですね。

マリリン・モンローは、それを彼女の人生の中で極端に生きた人です。

「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」

この同じタイトルの曲が、1997年9月ダイアナ元イギリス皇太子妃の葬儀で歌詞を大幅に書き換えた追悼歌として、チャリティ活動で親交のあったエルトンジョンによって歌われました。



シングル化された「Candle In The Wind 1997」は発売37日目で3180万枚を売り上げ、シングル売り上げ枚数のギネス記録を樹立。

収益金2000万ポンドはダイアナ記念基金に寄付、エルトン・ジョンは翌年2月、グラミーの最優秀男性ポップボーカル賞を受賞、同じ月に長年の音楽活動とチャリティ活動への功績が認められにイギリス王室からナイト爵位(Sir 称号)を授与されています。

そのノーマ・ジーンと同じタイトルの曲を捧げた、元イギリス皇太子妃・ダイアナの人生はどうだったのでしょう?

ダイアナの旧姓はダイアナ・スペンサーと言います。
スペンサー家はチャールズ1世からスペンサー伯爵の地位を受け、婚姻関係によってチャールズ2世の血筋も受け継いでいる名家の出身ですが、両親は離婚し、ダイアナはそのとき大きな心の傷を受けたそうです。

1981年7月29日、20歳の時にチャールズ王太子とロンドンのセントポール大聖堂で結婚。

1982年に長男ウィリアム・アーサー・フィリップ・ルイス、1984年に次男ヘンリー・チャールズ・アルバート・デーヴィッドが生まれ、外側から見れば、人も羨む、幸福の絶頂の人生のようです。

しかし、家庭内ではチャールズはカミラとの交際をやめず、交際にダイアナは早くから気付いており、彼女は過食症の摂食障害を起こすようになっていたそうです。

世界中のマスコミがプリンセス・ダイアナを追いかけていた一方で、本人自身は不幸の真っ只中にあったのです。

「私は二人分の食事をとっているかもしれないわ」という言葉が、すわ「3人目懐妊か?」と世界中の新聞に掲載されたのですが、実際は妊娠ではなく過食する状況を暗示していた、という状況だったのです。

やがてチャールズとカミラの交際は世間に知れ渡り、ダイアナも腹いせに王室職員やさまざまな男性と付き合うようになり、夫婦は1992年12月9日別居、1996年8月28日正式離婚しました。

ダイアナはプリンセス・オヴ・ウェールズ(ウェールズ公妃)を引き続き名乗ることと、ケンジントン宮殿の居住を認められ、対人地雷廃止運動やエイズ啓発活動などに関わっていくことになります。

1997年8月31日、フランスの首都パリでパパラッチに追跡された果てに、乗車したパリのリッツ・ホテルのメルセデスベンツ(S280)のハイヤーが交通事故を起こし急逝。その原因は謎のままです。

ダイアナは36歳でした。

彼女の遺体をフランスまで引き取りに行ったのは、かつての夫チャールズでした。

訃報が知れ渡った翌日9月1日には、彼女の居住していたケンジントン宮殿の門前には、たくさんの人々が訪れ献花や死を悼むカードがささげられ、各国の英国大使館には記帳台が設置されました。

国葬にすべきとの世論がすぐに英国内で高まりましたが、王室の伝統にかんがみトニー・ブレア首相は「国民葬」にする旨を発表し、9月6日ウェストミンスター寺院で国葬に準じた盛大な葬儀が行われました。

遺体はノーサンプトン州オルソープにあるスペンサー家領地内の池に設けられた墓所に埋葬され、彼女の葬儀時、友人エルトン・ジョンが『キャンドル・イン・ザ・ウィンド』の歌詞を書き直して『キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997』を生演奏しました。

これが、この『キャンドル・イン・ザ・ウィンド』の曲が捧げられた二人の女性の人生です。

そこに、共通して暗示しているテーマはなんでしょう?

実はこのテーマは、この歌に歌われている女性だけではなく、それを歌っているエルトン・ジョンのなかにもあるのです。

彼は、ビートルズ以来の最大のヒットメーカーでもあり、イギリス出身のシンガー・ソングライターで、もっとも成功を遂げたひとりともいえます。

しかし反面、ドラッグ問題による作品クオリティの浮き沈み、バイセクシャル発言、元妻から破格の慰謝料請求など、彼の周囲は常に騒々しく、不安材料が多いミュージシャンの典型でもありました。

とりわけ1980年代後半は、精神的にも不安定な状態が多く、過食症やアルコールの過剰摂取はよりいっそうエスカレートし、1990年、薬物とアルコール依存症、過食症の治療のため入院しています。

その後、更生施設への入居を経てカムバックし、翌年のアルバム『ザ・ワン』で再び好調なセールスと高い評価を得ています。そして1994年にはディズニー映画『ライオン・キング』の音楽を担当し、この映画のサントラは全米チャート1位を記録し、最終的に彼の30年以上に渡るキャリアでは『グレイテスト・ヒッツ』に次ぐ商業的成功を収めたアルバムとなっています。

1980年代暮れから1990年代はじめにかけて、多くの友人や知人などをエイズで亡くした彼は、1992年以降シングルの全収益を自ら設立したエイズ患者救援者団体、「エルトン・ジョン・エイズ基金」に寄付するようになりました。

そうした活動が縁で、ダイアナとも知り合い、友人になったのでしょう。

太めで前髪が薄く、どちらかというと野暮ったいレジナルド・ドゥワイト(本名)と巨大なメガネと、かぶり物を含めた派手な衣装でエキサイティングなライブを行うエルトン・ジョンは、なにかどこかノーマ・ジーンとマリリンとの姿に重なるところもありますね。

『キャンドル・イン・ザ・ウィンド』

風の中にゆれるキャンドルの炎。

風前の灯(ともしび)、とも言われますが、それは華麗で不幸な人生を生きた二人の女性だけのものではなく、その内面の二面性、外面と内面とのギャップと分裂に揺れるこころは、誰のなかにもあるテーマですね。

そのことに、気づいているかどうかなのです。

彼女たちは、風に吹かれて、今にも消えそうに揺れ動くこころに翻弄されながら生き、謎の死を遂げました。

私たちの命も同じです。

いつ消えるとも知れない風前の灯(ともしび)であることに変わりはないのです。

今にも消えそうに揺れ動くこころ、そして風前の灯の、この命。

『キャンドル・イン・ザ・ウィンド』

次回は、このテーマがボトルにどのように現れているのかを見ていきましょう。

えたに 記

☆B084 Candle in the Wind(風の中のキャンドル)のボトルは、こちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。

https://artbeing.com/aura-soma/equi/B084.html

 

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