ゴールドの光が渋いブルーに混じって

ヴィッキーさんは子どものころから人のオーラの色が見えていました。

私たち普通の人間にはオーラの色は見えないわけですが、そういう色が見えるのだと言われると、信じるか信じないかは別として、ヴィッキーさんに見えること自体は肯定も否定もできません。

当たり前です。(*^_^*)

ただヴィッキーさんがそんなことで嘘を言うはずもないと思っているので、見えるんだろうなぁ、と思うわけですよね。

考えてみたら、生まれながらの全盲の方は、他の人たちには視覚という感覚が機能していて、実際にその物に近づいて触ってみなくても、遠くからでも物の色とか形とかいうものがわかるのだ、と聞かされたら、同じような感じを味わうのかもしれませんね。

自分にはその感覚機能はないけれど、きっとそういうことがあるのだろうと。

そして、いろいろな情報や経験を総合判断して、自分には見えないけれど、やっぱり他の人たちには見えているんだ、と納得することになるのだと思います。

ただ、普通に物が見えている私たちにとっては、色のタイプを追加したオーラの色が見える状態は想像しやすいですが、生まれながらの全盲の方にとっては、視覚という機能そのものを想像するのはとても難しいことかもしれませんね。

ところで、通常の視覚は空間的知覚能力とも言えますが、オーラが見える能力というのは空間的知覚能力ではなさそうです。

もしかしたら、一種の時間的知覚能力のようなものなのかもしれませんね。

ある意味で、生命現象の真実性というか先行指標のようなものが見える状態のようにも思えます。

さて、ヴィッキーさんは退院してきた友人の母親の快気祝いの場に呼ばれたのですが、そこでそのお母さんの生命状態の一種の先行指標を見てしまったようです。


私はベッドの脚の方に立っていました。
なにしろその場所以外は、隙間なく愛の輪がベッドを囲んでいましたから。
私が微笑みかけると、彼女は少し疲れたような笑みを返してきました。
これほどの興奮の渦にもまれては、当然と言えば当然でしょう。
そして彼女の関心がまた子供たちに戻ると、私はシーツの上に置かれた手の方へぼんやり視線を動かしました。

と、そのとき、私は信じられないものを見たのです。

私の目の前で彼女のオーラが、ゆっくりと上へ、そして左半身へと徐々にずれていき、ゴールドの光が渋いブルーに混じってオーラの周りに現れ、一方、体に残っているオーラは、どんどん淡くなり、とうとうまったく消えてなくなっていくかのよう。

恐怖に打たれ、私は目をそらしました。
こんな光景には見覚えがある。
でもきっと全部ただの想像にすぎないわ、そうよね、と念を押すように彼女の顔を見ると、さっきとは打って変わり、そこにあるのは紛れもなく死相でした。
そんな私に、誰かがくったくなく声をかけてきました。

「彼女、調子よさそうでしょ」

私は必死の思いで笑みをつくり、何とか返事をし、そして、早々にその場から引き上げました。
そして次の朝早くのことです。
また電話が鳴り、例の友達の悲痛な声がしました。

「ヴィッキー、あなたには言っておかなくちゃと思って。
 ママはね、夜中に再発して、それっきりだったのよ」

言葉は嗚咽に混じり、ほとんど聞き取れません。

「ママはすごく調子よかったわよね。
 本当に元気で幸せそうで。
 ねえ、そうでしょう」

それに対し私がどう答えたか、よく思い出せませんが、受話器を置くと、残された人たちの痛みにやりきれない思いを感じました。

彼女の母親は、まるで聖者のような魂の持ち主で、今になって思えば、私が見たゴールドの色は霊的に進化したしるしであり、献身の生涯を送ってきた人たちに見られる後光だったのです。

『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p274-275)



【私の目の前で彼女のオーラが、ゆっくりと上へ、そして左半身へと徐々にずれていき、ゴールドの光が渋いブルーに混じってオーラの周りに現れ、一方、体に残っているオーラは、どんどん淡くなり、とうとうまったく消えてなくなっていくかのよう】

もしこんなものが見えたら、たしかに恐ろしいかもしれません。

pari 記

 

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