B10 行って木を抱きなさい
オーラソーマタロットの旅は0番の「愚者」から始まって、前回の9番の「隠者」で、コペルニクス的転換を迎えました。
そこで青年が経験したのは、内面への旅でした。
そして、「隠者」として目にしたものが、この「運命の輪」でもあるのです。
そこでは人生の全体が一望のもとに、こころに映ってきたのです。
人は死の瞬間に、これまでの人生のすべてを一瞬のうちに体験するといいます。
それは瞑想の時にも同じです。
最初に目を閉じたとき、頭の中は様々なことでいっぱいになっているのに気づきます。
静かに坐ろうと思っても、いろいろな雑念でいっぱいです。突然いろいろなことを思い出したり、気にならなかったことまで気になってきます。
でもそういう雑念や思考、様々な感情にとらわれないで、ただそれらがやってきては去っていく雲のように眺めていると、だんだんこころも落ち着き、それらの物事とも距離ができて、眺めて(観照)いることができるようになっていきます。 そして人生に対するいろいろな洞察を得たりするのです。
そのことが、この「運命の輪」に表現されています。
このタロットを理解するには、この「運命の輪」を見て、それに瞑想することが助けになるでしょう。
それは、ちょうどチベットの僧侶が曼荼羅(マンダラ)に瞑想するようなものです。
この「運命の輪」は、その人生の曼荼羅を表しているのです。
例によって、このタロットの図柄を見てみましょう。
http://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-B010.html
「運命の輪」の表面(外側)では、赤ん坊が生まれ、青年となり、年老いて消えていく姿が描かれています。
その運命の輪は、青い水に浮かんだボートの上に支えられています。
青い水は意識の海、ないし幻想の意識を表しています。
お釈迦様が、人生には四苦八苦があり(生老病死の4苦と愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五うん盛苦)、人生は幻想である、と見たように、人生のありさまを瞑想することがここに表れています。
万物は流転し、「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく止まることなし。 世の中にある人と住みかと、またかくの如し」という世界が運命の輪に描かれています。
しかし、その車輪の中心は光に包まれ、静止しています。 そこには平安があり、すべてのエネルギーがその中心の源からでています。
その人の意識のあり方が、その人の人生を形成しています。
その自己の中心に気づくということが、真の自己への目覚めとなるのです。
運命の輪を見ていて気づくことは、人生は直線ではない、ということです。
直線的に、時間には始まりがあって、終わりがあります。
しかし輪となっていることによって、そこには始まりもなく、終わりもない、あるいは始まりでもあり、終わりでもある、という世界が繰り広げられているのがわかります。
そこには誕生があり死があり、偶然のようであって必然でもあり、創造があり破壊があり、統合され分裂するという、あらゆる相反するものが同時に存在し体験できる、絶え間のない変容のプロセスが渾然一体となって存在しています。
いろいろなことが繰り返して起こるのだとすれば、その無意識のパターンをひとつの人生の中で、あるいは生まれ変わっても、そのパターンを意識的に気づけるようになるまで、いつまでも同じように繰り返されることでしょう。
そこで、アメリカの大統領の宣言にもあったように、「変化」がここに示されています。
意識の持ち方によって、あらゆる変化はチャンスでもあり、またターニングポイントともなり得るものです。
このカードでは、この「運命の輪」はグリーンの大きな木のなかに書かれています。
その木は「生命の木」を表しているようです。
ヴィッキーさんは、「行って木を抱きしめなさい」というメッセージを、このボトルに託しています。
それは、まさに彼女が毎朝の散歩の時に実践していたことでもあります。
木には年輪があり、その毎年の変化を年輪に刻みながら、周りに起こる変化をじっと観ています。
木を抱きしめることで、その木の意識ともつながり、瞑想してみることが、このボトルに瞑想することにもなるでしょう。
カードの四隅に書かれている動物は獅子、牡牛、鷲、人間であり、火、地、風。 水の万物を構成する4つの要素を象徴し、人間の精神構造に当てはめると、直感、思考、感情、物質的感覚(肉体)などを表しています。
・・・というわけで、以下のリンクより今日のメッセージをもらってみましょう。
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