前回の続きです。
見えない世界は、どうしたら見えるのでしょう? というところからです。 皆さんは、何か思い当たりはありましたか?
矛盾した言い方ですよね。見えない世界が見えるなんて。
オーラやチャクラ、天使や過去生、魂や意識のようなもの・・・。 天使がいるなら、幽霊もいれておきましょう、この際。 シックスセンスという映画では、そうでしたから。 昔は、日本にはもっと幽霊が出たのですが、最近は天使の方が人気があるようです。
オーラを見る方法もあるようですが、ヴィッキーさんは目がほとんど見えなくなってからも、オーラは見えたそうです。 どうやってなのでしょうか?
チャクラなどもインドのヨギたちはヴィジョンとして見ることができたのです。
チベットでは、「チベットの死者の書」にあるように、死んだ魂を導く作法があります。 日本でも49日というものがあって、その間、中有で魂が迷わないようにロウソクか、お線香を灯していたりします。
チベットの精神的指導者となる代々のダライ・ラマも、ダライ・ラマとなるべく転生してきた魂を見つけだして、その子供がダライラマになるそうです。 現代のダライ・ラマは、その伝統を壊してしまったそうですが・・・。
エリザベス・キュブラーロスは臨死体験者のインタビューから死後の生ということを確信していましたし、転生した子供たちの記録や、過去生回帰などの記録も医師や学者によって、さまざまな本で報告されています。
ノーベル賞などを受賞した大きな発見や発明は、左脳で考えた末に発明発見されたというよりも、左脳で考えに考えをつくしたあとに、考えるのをやめてリラックスした瞬間にひらめいたり、夢でヒントを得たりということが多いそうです。 何故でしょうか?
直感として、ひらめくということも、頭で考えるのではないところでわかるわけです。
いわゆる右脳でのひらめきやヴィジョン、イメージの世界。
あるいは第三の目、シックスセンス、第六感のようなもの。
肉眼が外側の世界、物質的な世界を見る目だとすれば、第三の目は内側の世界、目に見えない世界を見る目だとも言えます。 いわゆる超感覚、透視能力とかも、この第三の目と関連しているとも言われています。
瞑想は、この見えない世界と触れる行為でもあります。 禅の瞑想体験でも魔境というのがありますが、そういう感覚が開いていく副産物のようなものでしょう。 白隠なども、坐禅の瞑想をしているときに空を飛んだり、別の場所に居ながらにして、あちこち見てまわったようなことを書いていますが、臨死体験などでも似たような報告がなされています。
何を言いたいかというと、この世には目に見える世界と目に見えない世界があって、それらを見るのに使う感覚が違うらしいということです。
目に見えないからといって、存在しないとはいいきれないということ。 光学望遠鏡を使っても見えない宇宙でも、電波望遠鏡を使えば見えてくる宇宙もあるわけです。
左脳でわかる世界と右脳でわかる世界。 肉眼で見える外側の世界と、第三の目で見る内側の世界。 考えてわかる世界と、瞑想の沈黙の中でわかる世界。
オーラソーマは、その左脳と右脳を統合していくツールでもあります。
目に見えない世界への知覚を開いてくれるものでもあります。
私たちの知覚が、宇宙空間と認識しているものは「目に見えない世界」が、この世界に表現されたものです。 これはいわば「神のからだ」と言ってもいいでしょう。 さらに驚くべき奇跡は、宇宙を存在させる壮大な空間は、私たちの外側にとどまらないことです。 それは、私たちの内側にも存在するのです。 完全に、一部のすきもないほど、「いまに在る」時、「目に見えない世界」とつながり、その沈黙と空間を感じることができるのです。 この空間は深さにおいて無限なのであって、距離においてではありません。 これはすべてを超越した「大いなる存在」の特質なのです。 (「さとりをひらくと人生はシンプルになる」 P190より)
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尚 記