https://artbeing.com/aura-soma/equi/B060.html
ヴィッキーさんのボトルのメッセージ:静かになり、自分が誰かを「知る」
メインテーマ:あまりにも深い安らぎの故に、自分がゆく道で出会うすべてのものを静かに受け入れる
アフォメーション:私は、すべての制限から自分を解放します。
マスターボトルのなかでも、老子と観音というのは日本人にもとてもなじみがありますね。
老子はタオのマスター。
老子は「道徳教」という本を書いたこと、それ以外はあまりわかっていないようです。
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4585290540/oshoartunity-22/ref=nosim
それを読むと、存在そのものが道であり、我を無くし、存在とともに流れていく、というような生き方が見えてきます。
まさに、ブルー、大いなる存在(タオ)とともに在る、というような姿です。
でも読みはじめると、いちばん最初に
道は無い、 それが道だ・・・
うーん、なんだこれ? と思いますが、頭で解釈しようとして読んでもわからない本だとも言えます。
自分の体験に照らし合わせてみたり、感じてみたり、瞑想するにはいい本です。
「道徳教」にある上善水のごとし(上善如水)という言葉は有名ですね。
タオの働きというのは水のように、万物を養い、生かし、それでいてなにごととも争わずに低きところに流れていくというイメージ。
あるいは無を以て用と為す(無之以為用)。
ちょうど自転車の車輪のなかのように、なにもない空っぽであるのが役に立っているのだとか。
日本人の無意識の智慧のなかに、自然に老子の考えが生きているようなところがあるように思います。
現代社会のように、常になにかになろうとしてあくせくした社会に生きていると、老子の「道徳教」に、なにか最も根本的な源に帰り着いたようで、なにかが腑に落ちて、リラックスします。
静かになり、自分が誰かを「知る」
上がブルーで下がクリヤーのボトルですので、空っぽの内なるスペースに入ることで、大いなるブルーの存在としての自分を知るということでしょうか。
老子の「道徳教」のなかには、次のように書かれています。
「静けさに帰る
虚とは、受け入れる能力を言うのだ。
目に見えない大いなる流れを受け入れるには
虚で、静かな心でいることだ。
静かで空虚な心には、
今まで映らなかったイメージが見えてくる。
萬物は、生まれ、育ち、活動するが、
すべては元の根に帰ってゆく。
それは静けさにもどることだ。
水の行く先は・・・海。
草木の行く先は・・・大地。
いずれも静かなところだ。
すべてのものは大いなる流れに従って、
定めのところに帰る。
それを知ることが智慧であり、
知らずに騒ぐことが悩みの種をつくる。
いずれはあの静けさに帰り、
甦るのだと知ったら、
こころだって広くなるじゃないか。
心が広くなれば、悠々とした態度になるじゃないか。
そうなれば、時には空を仰いで、
天と話す気になるじゃないか。
天と地をめぐって動く命の流れを静かに受け入れてごらん、
自分の身の上でくよくよするなんて
ちょっとばからしくなるよ」
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「タオ 老子」 加島祥造著 筑摩書房
この本は、とてもわかりやすく読めますので、お勧めします。
そして観音さま。
観音様については「妙法蓮華教観世音菩薩普門品 第二十五」に書かれています。
これを読むと、「南無観世音菩薩」というふうに観音様の名前を唱えると、
どんな状況にあっても、どんなに悩みが深くても、煩悩があっても、
火事に焼かれそうになっても、洪水や津波に溺れそうになっても、
盗賊に襲われて殺されそうになっても、
あるいは怒りがあっても嫉妬があっても、
あるいはみめ麗しい子どもを生みたいという願いであろうとも、
観音様はその慈悲心によってその名を唱える人を困難な状況から助けだし、さまざまな悩み、煩悩を取り除 き、あるいは望みをかなえてくれる、と言うのです。
西洋で言う、いろいろな大天使や天使をすべて合わせ持ったような存在ですね。
西洋のように、ありとあらゆる大天使や天使の名前を覚えなくても、「南無観世音菩薩」というひと言ですむわけですから、日本はシンプルでいいですね。
「妙法蓮華教観世音菩薩普門品 第二十五」は長いですので、もっと簡単にしたお経が「(延命)十句観音経」です。
これだけ功徳のある観音様のお経ですから、みなさんも唱えてみましょうか。
かんぜーおん
観世音
なーむーぶつ
南無仏
よーぶつうーいん
与仏有因
よーぶつうーえん
与仏有縁
ぶっぽうそうえん
仏法僧縁
じょうらくがーじょう
常楽我常
ちょうねんかんぜーおん
朝念観世音
ぼーねんかんぜーおん
暮念観世音
ねんねんじゅうしんきー
念念従心起
ねんねんふーりーしん
念念不離心
悩み事があったり、困難な状況があって、ボトルを選ぶこともできない人は、何度も唱えてみてくださいね。
お経を無心になって唱えてみるのも瞑想になります。
それが観音様の名前なら、なおさらです。
マントラを唱える瞑想のようなものです。
ボトルがなくても観音様が助けに来てくれます。
でも、こういう光線なのだということを理解して、老子と観音のクイントエッセンスを使ってみると、よりその波長をあわせやすいと思います。
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不思議なことに、普通はボトルの色とクイントエッセンスの色は同じか、振って混ぜた色に近いのですが、この老子と観音のボトルはブルー/クリヤーなの に、クイントエッセンスはオレンジなのです。
オレンジといえばブルーの補色ですね。
老子と観音、ブルーとオレンジ、ということなのでしょう。
陰陽の原理、男性性と女性性の原理でバランスを取っているのでしょうか。
タロットはスウォードの5。
生命の木は5番目のスフィアのゲブラです。
えたに 記(2005,5/18)
☆B060 Lao Tsu & Kwan Yin(老子と観音)は、こちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B060.html