今回のボトルは、「B73 荘子」です。
http://artbeing.com/aura-soma/equi/B073.html
上がゴールドで、下がクリヤーのボトルです。
荘子は老子とともに「老荘思想」として、ひとまとめにされることが多いですね。
ちなみに、オーラソーマでは、老子のボトルは上がブルーで下がクリヤーです。
http://artbeing.com/aura-soma/equi/B060.html
老荘思想は「道」(タオ)を説いています。
では、その「道」というのはなんでしょうか?
『老子』は「道の道とすべきは、常の道に非ず」と言っていますし、
荘子は「道は昭(あき)らかなれば而(すなわ)ち道ならず」(斉物論篇)というふうに言っています。
つまり道というのは、曰く言い難し、ということで、言葉では表現できないものだと言っているわけですが、あえて言えば、私たちを生かしている生命原理のようなものと言えるかもしれません。
オーラソーマのボトルでは老子と荘子に共通しているのは、下のクリヤーの部分です。
つまり、このクリヤーが「道」を表しています。
そして老子は上がブルーで、汝の意志のなすがままに、無為自然ということを表しています。
荘子は上がゴールドで、真の自己、ないし深い知恵を表しています。
つまり、真の自己を知ることが知恵であり、真の自己を知れば、万物と触れ合いながら自らは安らかでいることができるということが「道」だということを表しています。
つまりほんとうの自己を知った人は、何があっても、自分の中心では何事にも惑わされないでいることができるということです。
そこで、自己とは何かということについて、「荘子」には胡蝶の夢という有名なお話があります。
それがこの荘子のボトルのタロットカードに描かれています。
このボトルの生命の木に対応するタロットカードは「ペンタクルの6(Six of Pentacles)」です。
http://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-B073.html
このタロットカードの図には、荘子が蝶になっている図が描かれています。
これは『荘子』斉物論篇の「胡蝶の夢」の話を絵にしているようです。
それは、こういう話です。
昔ある春の日のこと、私、荘周(そう・しゅう)は、夢のなかで蝶になって、ひらひらと花から花へと飛び回っていた。
まったく蝶そのものになりきって。
私は自分が周であることなどには気づかず、蝶そのものの幸福感に酔っていた。
・・・と、突然、その夢のなかの蝶が目を覚ますと夢見る前の私自身にもどっていた・・・。
そこで荘子は、わからなくなったんですね。
果たして自分が夢のなかで蝶になっていたのか、それとも、蝶が夢のなかで荘子になっている夢を見ているのか?
はて、自分は人間なのか蝶なのか?
つまり、自分は誰なのか?
それは頭で考えて得られるものではありません。
その問いとともに、このボトルをゴールドの領域、オーラソーマいうところのツルーカラー(真の自分の色)の領域に塗りながら、自分自身を感じてみてくださいね。
このボトルについてのキーワードは「オーラソーマ辞書」をご覧ください。
このボトルについては、以前メルマガでも紹介しています。
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