http://artbeing.com/aura-soma/equi/B048.html
前回は、1番目にセラピスベイ、ないし下にクリヤーのボトルが来た場合についての前置きで終わってしまっていました。
今回はその続きとなりますが、下にクリヤーのボトルが選ばれた場合に、どうしてもう1本を選んでもらうという選択肢が生じるのでしょう?
それは1番目の下の色が人生の目的、使命を表すということと関連しています。
つまりヴィッキーさんによると、この1番目のボトルがソウルボトルと呼ばれているのは、人間の魂は転生をしてこの世に生まれてくるのであり、その際には、その魂はある光に導かれて生まれてくるわけで、その色がこの1番目の下の色に現れていると考えることが前提となっているからなのですね。
チベットのバルドソドル(死者の書)では、肉体を離れて、あの世に行くときに、導師にガイドされていく様子について書かれています。
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そのときにも色は重要な意味を持ちますが、生まれてくるプロセスにおいても、魂は色に導かれて、この世に生まれてくるようなのです。
そして、どの色に導かれて生まれてきているのか、ということが、この1番目の下の色と関連するということですね。
では、どうして下の色がクリヤーであることが問題になるのでしょうか?
だって、人間は光というなら、光として、クリヤーの色を持って生まれてくるのなら、そこにはすべての虹色が含まれているから、めでたい話しではないかと思いますよね?
でも、すでに光そのもの、クリヤーの意識そのものの地点に到達した魂は、この世に再び生まれてくることはない、という考えがあります。
つまり、悟りを得た魂は、この世での使命を終えて、生まれてくることはないのです。
仏教では、そのためにみんな修行をしているわけで、悟りを得て、光明を得れば、その人生の目的を到達してしまったというわけです。
7番目のチャクラの色は、オーラソーマではヴァイオレットで表しますが、白色で表す説もあります。
つまり、頭頂では、すべての色がひとつになって、クリヤーの色になるわけです。
すべての虹色がひとつになり、全体とひとつであることを悟るのです。
ヒマラヤ聖者の話などで、白色同朋団というような、悟りを得た聖者たちが肉体を持たずに、多くの人々を指導したり、助けたりしているという話がありますが、そういうふうに悟りを得た人たちは、もう肉体として生まれてくる必要がないようです。
だから下の色がクリヤーであるのは、あなたはすでに悟ってしまっているか、あるいはまだ悟っていないとすれば、あなた自身の色をそこに選んでいないかのいずれかだ、というわけです。
あなたは悟っていますか?
悟っていない? だったら、何か色があるはずでしょう?
・・・というわけです。
つまり、クリヤーをソウルボトルとして選ぶのは、まだ自分の色が見えていないのではないですか? ということです。
私は、ボトルの意味を感じたり、考えたりするときに、ヴィッキーさんのボトルのメッセージをよく参考にします。
どうしてヴィッキーさんは、このようなメッセージをこのボトルに与えているのだろう?
ヴィッキーさんのボトルのメッセージには、「内側を見るとき」と書いてあります。
どうしてでしょう?
自分の色が見えていないのであれば、どこを見れば色が見えるのでしょう?
オーラが見える人に見てもらいますか?
ヴィッキーさんは言っています。
それは「内側を観れば、そこに見えるんですよ」
「内側を見るとき」です。
そうすることで、自分の人生の目的を明確にするときでもあるのでしょう。
クリヤーというのは、チャレンジに来たときには、燃え尽き症候群で、人生の目的を見失ってしまって、人生に色を見いだせない、というときにも選んだりします。
「霊的なクレンザー」
セラピスベイの浄化と、ヴァイオレットの霊的な側面でのヒーリングが、そこで起こっていくことになるのでしょうね。
「生命の木」は3番目のスフィアである、ビナー:Binah(理解)です。
えたに 記(2006,5/17)
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