初心者のみなさまのためのコーナー・6 その3
このコーナーに寄せられた質問は随時「オーラソーマ通信」にて回答していきます。みなさんの質問をお待ちしています。
この文章は2008年の208号のメルマガに掲載したものからの引用です。
▼初心者の方からの質問もお待ちしています。
下記のフォームか、ブログのコメント欄をご使用ください。
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P73685268
(過去に似たような質問があるかどうかなど、いっさい関係なく質問してくださって結構です。)
ありぃ さん
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『瞑想』とはなんなのでしょうか? 瞑想の意義はなんなのでしょうか?
そして、呼吸法ややり方など色々とありますが、一番大事なことはなんなのでしょうか?
教えていただければ、嬉しく思います^^!
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その3です。
その1→http://aura-soma.co.jp/weblog/log/eid25.html
その2→http://aura-soma.co.jp/weblog/log/eid26.html
前回はオーラソーマシステムのなかで、瞑想ということはどのように現れ、考えているかということを中心にお話しました。
そのなかで、オーラソーマシステムにおいても「マスターセット」のすべてのボトルに共通するセラピスベイ、その意味するところである「気づきの光」、「意識の光」ということが、そのマスターのエッセンス、瞑想のエッセンスを伝えている、ということをお伝えしました。
では、そのマスターは、瞑想ということについて、どのように語っているのでしょうか?
まずは、オーラソーマの創始者、ヴィッキーさんの言葉から紹介しましょう。
ヴィッキーさんは「あなたの大いなるガイドはあなたの内側にあります」
と語っています。
はじめに言葉ありき、というふうに聖書に書かれていますが、オーラソーマの最初にはこの言葉があり、この言葉からオーラソーマが生まれてきたのです。
正確に言えば、この瞑想の中からオーラソーマが誕生し、その瞑想の体験をこの言葉に込めたのですね。
その内容については、このブログの別の記事に詳しく書いてあります。
http://aura-soma.co.jp/weblog/log/eid27.html
では、瞑想についての最初のころのお話に戻りますが、瞑想の意義について、そして、その瞑想の一番大切なことはなんなのでしょうか?
というご質問ですね。
それについては、その瞑想について、ほんとうに知っている人から聞かなければならない、ということをお話しました。
では、その瞑想について、知っている人が語っている言葉をここに引用します。
彼は、世界で600冊以上の本となって出版されていますが、彼によると、彼は生涯このことだけを語ってきていると言っています。
でもそれは語ることのできないものだとも言っています。
これほどの矛盾はないですよね。
禅では、只管打坐、とのみ言っています。
ただ、何も言わずに、坐れ
と。
かと思うと、答えられない問いに答える、公案、という手法もあります。
それは語ることのできないことを語る一つの方法であったんでしょうね。
そういうわけで、瞑想の一番大切なことは、語ることのできないものである、ということは覚えておいてください。
彼(マスター)は言います。
人々は多くの悩みを持って私のところにやってくるが、メディテーション(瞑想)こそが唯一のメディスン(薬)だ、と。
いろんな病気、悩みがあってやってきて、そのことにさまざまに答えているけれども、私はこの唯一の薬、メディテーションだけを処方している、と。
以下は「瞑想とはなんでしょう?」という質問に答えた、彼の講和の抜粋の一部です。
「瞑想とはインド式の方法(メソッド)ではない。それは単なる技法(テクニックではない。
それは成長だ。それはあなたの生全体から生まれる、あなたの生全体の成長だ。
瞑想は、今あるあなたにつけ足すことでのできるようなものではない。
それがあなたにおとずれるのは、根本的な変容、変換によるしかない。
それは開花であり、成長だ。
成長はつねに全体から生まれる。それはつけ足しではない。
あなたが瞑想へと向かって成長しなければならないのだ。
この人間存在の全面的開花は、正しく理解されなければならない。
そうでないと、人はひとりでゲームをすることもありうるし、精神的トリックで自分をいっぱいにすることもありうる。
そしておびただしいトリックが存在する! それにだまされるだけでなく、なにも得られないだけでなく、本当の意味であなたは傷つけられる。
瞑想になにかトリックがあるというまさにその姿勢が・・・瞑想をメソッドの観点から考えること自体がーー根本的にまちがっている。
そして人が精神的トリックとたわむれるようになると、こころの質そのものが悪化しはじめる。
思いが存在するかぎり、それは瞑想ではない。瞑想が起こりうる前に、心全体がかわらなければならない。では今あるこの心とは何なのか? それはどのように機能しているんだろうか?
心はつねに言葉で表現する。・・・・・
・・・・・(省略)・・・・
そこで瞑想的な心へと向かうのに必要な第一のことは、たえまない言語化に気づくこと、そしてそれを止められるということだ。ものごとをただ見なさい。言葉にしてはならない。その現前(プレゼンス)に気づいていなさい。だが言葉に変えてはならない。言語なしで、ものごとをそのままにしてきなさい。言語なしで、人々をそのままにしておきなさい。言語なしで状況をそのままにしておきなさい。
・・・・・(省略)・・・・
瞑想とは、言葉なしに生きること、非言語的に生きることを意味する。
・・・・・(省略)・・・・
瞑想は愛の頂点だ。一人の人間に対する愛ではなく、存在全体への愛だ。私にとって瞑想とは、あなたをとりまく実在すべてとの生き生きしたかかわりだ。もしどんな状況においても愛の中にあるとしたら、あなたは瞑想の中にある。
・・・・・(省略)・・・・
「秘教の心理学 OSHO 著 発売 めるくまーる」より
続きは次回に。
尚 記
過去の「ご質問」と「回答」は以下に分類掲載してあります。(ご参考まで)
http://aura-soma.co.jp/faq/
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