ヴィッキーさんはヒーリングということに関して、とても厳密な感覚を持っていらっしゃったようです。
つまり、ヒーリングというのはそれが起こる必要があるところに、道具となる能力をもった媒体が存在してはじめて起こることであって、人が意図して起こせるようなものではない、という理解というか感覚です。
実際にヒーリングの媒体となったことがあるヴィッキーさんのヒーリングに対するこの理解を聞くと、以前読んだことがあるゲドという大魔法使いを主人公とする『ゲド戦記』というファンタジーを思いだしました。
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ヒーリングの世界と魔法の世界とではとても世界が違うような気もしますが、ただ『ゲド戦記』の作者のアーシュラ・ル・グインの魔法観とはとても通底するものがあるような気もします。
『ゲド戦記』の主人公ゲドは、魔法に対する途方もない高い潜在能力を秘めた少年として登場するのですが、本物の魔法使いに弟子入りし、自ら本物の魔法使いとなっていく過程で、魔法に対してヴィッキーさんのヒーリング観ととても似た理解をもつようになるのです。
ヴィッキーさんの場合は、少女のころに自分ではまったくそんなつもりもないのに、ヒーリングを必要とする人と遭遇して、まったく意図せずにヒーリングが起こる媒体となりました。
少年時代のゲドは、それとはまったく逆に、自ら魔法に関心を持ち、自ら自分の能力に気づいていくのです。
しかしそのゲドも、大賢人の師匠のもとで学ぶうちに、魔法というのがどのような大きな世界のエネルギーに介入することなのかを知りはじめるのです。
そして、魔法というのはそれが起こる必要があるところに、必要な能力をもった魔法使いが存在してはじめて起こることであって、魔法使いが自分の意図で勝手に起こせるようなものではないことを理解していくわけです。
もちろん、魔法とヒーリングは違いますよね。(^^;)
それにファンタジー物語とヴィッキーさんのお話を比べるのも変なものです。
ただ、ヴィッキーさんのお話を読んでいて、なんとなくファンタジー『ゲド戦記』のゲドが連想されてしまったのでした。
では、ヴィッキーさんが考えるヒーリングというのがどういうものなのか、ヴィッキーさん自身の言葉で説明していただきましょう。
こうした考え方は、ニューエイジの思想家によって研究され、認められてきています。
彼らは、視覚や嗅覚や聴覚、つまり、色や香りや音によるヒーリングの重要性に気づいてきているのです。
私は、ヒーリングというものは、まったく神聖なものだと確信しています。
ヒーリングに携わる人は誰でも、結局は通路にすぎません。
「私」という意識が死なない限り、つまりエゴが犠牲にならない限り、ヒーラーが十分な力を発揮することはありえません。
その人は、空の器になって初めて、真の機能を果たせるようになるのです。
私にとって、それは決して意識的な行為ではなく、いつも意識しないうちに、より高い意識によって行われたことでした。
それは、求めもせず乞いもせずして起こったことであり、だからこそ、私は自分をヒーラーだ見者だ何だというのに、ためらいを覚えるのです。
なぜならば結局、私は無であり、また無でない限り、何事も起こらないのですから。
こうした用語は人間が作ったものであるにすぎず、スピリットによってヒーリングを行う人は、有名になったとしても、結局無名に留まるのです。
11歳ごろに私の身に起こった最初のヒーリングのエピソードについては、すでにお話しました。
こうしたことをお話するのはいつも気が進まないのですが、読者の方に関わりがあるかもしれない別の話をここに記そうと思います。
しかし、ここで私は自分が道具となる能力があるという以外に、何も主張するつもりはありません。
それにどんなヒーラーも、それ以外のことを主張できるとは思いません。
ヒーリングは、練習したり、テクニックを学んだりして身につけることができるような技術ではないのです。
それは与えられるものであり、ここで警告しておきますが、それは、正しく使わなければ、簡単に取り上げられます。
乱用すれば、すぐに失われるのです。
ときどき「ヒーリングの仕方を教えてもらえますか」と聞かれることがありますが、どうしてそんなことができるでしょうか。
それは神聖なものであり、意識して行うことでもないし、起こそうとして起こせるものでもないのです。
けれども、なぜ媒体となる人が必要なのでしょう。
ラジオをつけて、ある波長を受信しようとする場合でも、そうするためには媒体が必要です。
この媒体という言葉はまさにその通りで、ヒーリングのために天の波長と同調する助けとなるものなのです。
ヒーリングを必要としている人は誰であれ、天の力が働けるような通路となる人を送ってくれるよう、祈ったらいいと思います。
そうすれば、奇妙ではあるけれどすばらしい方法で、ふさわしい時と場所にヒーラーがやってくるでしょう。
これから語る事件は、まったく求めずして起こったことで、実際私の意志に反したことでした。
時代はこうした出来事に共感的ではなく、私は笑われるのが怖くて、このことを誰にも話したことはありません。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p248-250)
【ヒーリングに携わる人は誰でも、結局は通路にすぎません。
「私」という意識が死なない限り、つまりエゴが犠牲にならない限り、ヒーラーが十分な力を発揮することはありえません】
ヴィッキーさんはそういうふうに考えていらっしゃったんですね。
pari 記