魂のスパイラルの生まれ変わり

魂のスパイラルの生まれ変わり
「オーラソーマ 光と身体」から    ドミニク・ヨーマン
       人間は現象世界をいろいろに解釈して、その解釈の結果としての物語のなかでワクワクしたりドキドキしたりするのが好きです。
とは言っても、現象世界を“自分”の思うがままに操れるわけではないので、現象世界が表わすさまざまな姿にあわせて、そのときそのときに解釈を変更していくわけです。
それを自分勝手に“成長”とか“進化”とか呼ぶこともあります。
でも、現象世界は何らかのゴールに向かって収束していっているわけではありません。
もしそんなことがあれば、宇宙は死滅してしまわなければなりませんから。
でも、幸いなことにというか、現れの世界は変化し続けるための仕組みですから、いわば舞い上がったホコリのようなもので、必ずそのホコリになかにまた新たな動きが起こってきます。
そしてまた新たな姿を展開してみせるのでしょう。
だからわれわれは宇宙の消滅の心配はしなくていいようです。
そしてその眼前の宇宙の姿に合わせて、飽きることなく何時までも、いろいろな物語を紡ぐことができるのでしょうね。
一連の物語を展開するためのエネルギーが最後の弧を描ききったら、あたかも台風が消滅するようにその物語は消えて、また新たな物語への関心として蘇ってくるのかもしれませんね。
そのことをオーラソーマの創始者ヴィッキー・ウォール女史は「魂のスパイラル」と呼んだのかもしれません。
チベット仏教には、ひとつの魂がエネルギーを使い尽くして次の物語を紡ぎ始める前のその中間段階を表わす「中有」という言葉があるようです。
渡り廊下になぞらえて、ここを“バルド”と言ったりするようです。
ここでその魂が次に遊んでみたい世界、惹きつけられる世界が「色」のシンボルによって表されるのだそうです。
そしてその惹きつけられるという過程、つまり欲望するという過程で、魂は映画を注文して、その映画のなかに自己同化して入っていくのでしょうね。
そうしてハラハラ・ドキドキをつづけられるわけです。
そういったすべてに飽きるまでは。
誰もが遊園地のジェットコースターに乗らなければならないわけではありませんから、もし飽きれば、その場面はそれとして、ただ無関心で安らいでいる状態もあるのでしょうね。
なぜなら宇宙は消滅に向かうのではなく、消滅(つまり、沈黙した闇の光)の上に展開しているのですから。
すべての現れは、自分が関心を向けるから、その関心のエネルギーによって現れる。
自分は世界のなかにいるのではなく、自分のなかに世界があるのでしょう。
では、ドミニク・ヨーマンの記事「オーラソーマ 光と身体」から、魂のスパイラルが新しく生まれ変わる辺りに触れた部分をご紹介しましょう。
       —————————————————————— オーラソーマの色は表面的なものではなく、全体のシステムへの鍵となるものです。 その空のボトルがオイルと水の層を受け取るまでは、他のどの空のボトルとも区別はできません。 イクイリブリアムにおいては、色がその違いを作ります(時には明るく、時には微妙に、いつも美しく)。 しかし、イクイリブリアムの色について特に印象を与えるのは、通る光によって、色が輝くということです。 物資界のすべての物に色がついているけれど、それは、たいてい私たちが見る物の外側の表面に、光が反射しているからです。 体は物体であり、光は物体からはね返ります。 光と物体には違いがあり、分離しています。 しかし、イクイリブリアムのように透明なものにおいては、この区別が壊れ始めます。 ここでは光は物体を通して輝くことができます。 色は表面ではなく、光が通過することで輝く内側の表現になります。 私たちは輝く物の内なる色を見ることは少ないのです。 しかし、イクイリブリアムの透明な美しさによって、それぞれのボトルの内なる質が実際に現れます。
オーラソーマのギフトは、その内なる質がそれ自体を表し、色として現れ、そして、このように光の言語を話す方法を備えていることです。 長い由来があるにもかかわらず、それは20世紀の西洋の世界では親しみにくい概念かもしれません。 世界における、多くの古代の伝統的な知恵において、色の言語は魂の進化における統合的な役割を演じています。 たとえば、バルドソドル(チベットの死者の書)において、それはこう言われています。
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体から魂が離れると、次に現れるのは光と色の閃光の連続です。 この光と色は、体とともに消えてしまった五感とは独立して知覚されます。 光と色を観ているものは意識それ自体です。 意識がどのようにこの閃光の連続に応答するかは、気づきと、その色によって意味される人生のその分野に、実際に魂が到達した熟練のレベルの尺度になります。
もっと言うと、この光と色の閃光への魂の応答が、魂が次にどの生に転生するかの環境を決めることになります。 スピリットの実現のプロセスへの鍵となる部分を説明するのに使われる言葉が光明(エンライトメント)であることに偶然はありません。 それは強烈で純粋な光の閃光の認知なのです。
このように見ると、光と色には深い意義があり、それは私たちの経験をとぎすます鍵の役割を演じます。 それは肉体を越える意識につながります。 魂のスパイラル、これはオーラソーマの創始者であるヴィッキーの言葉で、ひとつの生から次の生へと続くエッセンスを説明するのに好んで使われたものです。 光と色は、この魂のスパイラルが別の次元でその旅を続けていく鍵となります。 そしてまた、魂のスパイラルが新しい生まれ変わりとして、再びこの次元に戻ってくるかもしれない時のガイドでもあるのです。 最も重要なことは、光と色は私たちが地球上にいる間に、私たちの内にある気づきをガイドしてくれているということです。 色は人生の語彙です。 それぞれの色が経験、質、思考、フィーリングの分野に関係しています。 すべて存在するものは色の中に現れます。 色は衣服であり、その中で、人生の多様性がそれ自体を飾り、意識が個々の物の根本的な質を認めるのです。 この内なる意識は、私たちの日常の意識レベルにおいては観察できないかもしれません。 にもかわらず、それはいつもそこにあり、私たちの人生の行動というものを観ています。 それはからだの中にある気づきの光です。
         『リビング・エナジー』Vol.4(p78-79)
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なるほど。
でもこれは、自分が映画を見て遊んでいるのだということを忘れると、映画の世界のなかに取り込まれてしまう可能性もありますね。
けっこう、恐ろしいかも。
自分が思い出さなければ、映画のほうでは止まってくれませんから。(^_-)
pari 記
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