海の底の大きな金魚鉢
「魂の万華鏡」(by Penni Du Plessisi)からの抜粋
現在という時代が一種とても変わった時代だということについては、たぶん、こんなブログに縁のある方々には、大なり小なり共通の認識だろうと思います。^^;
まるでこれまで馴染んできた現実が、なにやらすべて曖昧になっていくような感じがありますよね。
“現実”と呼ばれるもののフレームが大きく動くときには、いちど従来の形がすべて流動的になる必要があるのだろうと思います。
そのようなときには、それにタイミングを合わせたかのように、いろいろ変わったお話が浮上してくるものです。
そうすると、そういう変わったお話を理解するベースを提供するような、“現実解釈の受け皿”のようなお話もまた浮上してくるようです。
今回ご紹介しようと思うのは、そういうお話のなかでもとても可愛らしくて、それでいてとても含蓄に飛んだ小話のひとつです。
“海の底の大きな金魚鉢”のイメージは、とてもすばらしいですね。
では、Penni Du Plessisi の「魂の万華鏡」からその部分を抜粋してご紹介しましょう。
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魂の万華鏡 Penni Du Plessisi
最近「ライトボディとは何か」という本を読みましたが、その中にこんなすばらしい寓話がありました。
想像してみてください。 昔、海の底に大きな金魚鉢がありました。その鉢はしっかり密閉されていて、外側からだけ見えるガラスで作られていました。
金魚鉢の中で泳いでいる金魚たちには、鉢の中だけしか見えません。 鉢の外側の海水、他のいろいろな魚や植物たちの生態には気づいていません。
やがて、金魚鉢のガラスが少しずつ薄くなってきました。 少しずつ海水が、金魚鉢の中の真水にまざってきました。 金魚たちは、この環境の変化に対応するためにとても速く進化しなければなりません。 ガラスが薄くなるにつれて、彼らは他の生き物たちを垣間見ることができました。
では、このことに対するさまざまな反応を見てみましょう。他の魚たちを敵とみなす金魚たちがいました。 そして、この緊急の侵略から金魚鉢を必死で守ろうとします。
彼らは他の魚たちを邪悪な者としてみなしています。 そして自分たちの恐怖を隠すため、まわりの緊急事態に自分の恐怖を投影しています。
あるいは、海の魚たちは今までずっと、金魚鉢を支配してきた、だから、自分たちはやがて食べられてしまうだろうと、思いこんだ金魚たちもいます。 金魚鉢のガラスが溶けるにつれて、びくびくしながら、彼らは他の魚たちに出会う日を待っています。
ガラスの向こう側にいる魚たちを、神聖で力強い自分たちより優れている者と考える金魚たちもいました。 彼らは自分の内側の威厳をすべて捨ててしまいました。 そして特別な者として選ばれるか、あるいは価値のない者にされるかということを思い悩んでいました。 彼らは、「マスター」からの隠されたメッセージを読み取り、そのメッセージに基づいて自分の行動、信念を作ろうとしています。
そして最後のグループの金魚たちは、他の生き物たちを 驚くほど多様な世界での兄弟、すばらしい者とみなしました。 彼らは、他の生き物たちと出会い、もっと学べる時が来るのを心待ちにしていました。 広大な海水の中を泳ぐ準備をしながら、彼らは恍惚感を味わっています。
あなたはどの魚にあてはまりますか? あなたは敵と闘うのに忙しいでしょうか? あなたの聖なる剣をおごそかに抜いて、秘密政府、未知なる者、暗闇の力と闘うのでしょうか? これは、あなたの地上での天国のビジョンに本当にふさわしいものでしょうか? あなたは、地球外生物が地球を支配しようと企んでいると心配していますか? 次に必要な食料源があるのかどうか恐れながら生きていますか? どうやったら、こんなことが、私たち人間はすべてあらゆる次元でのマスターであるという観点とうまくかみあうでしょうか?
『リビング・エナジー』Vol.5(p19) ——————————————————————–
なるほどねぇ……。
一言でいえば、いろんなタイプの方がいるわけですよね。
二元性の原理が支配する現れの世界は、あらゆる多様性を包含するわけですが……。
でも、ということは、いわば“善人”が存在できるためには“悪人”も存在しなければならない、といった面もあるわけでしょうね。
少なくとも、“善人”とか“悪人”とかいう「解釈」は存在できなくちゃならない。
そういうマインドが存在できるところでは、あらゆる極性が顕現のチャンスを伺っている……ということにもなるんでしょうねぇ。
pari 記
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